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#映画感想文175『スーパー30 アーナンド先生の教室』(2019)

映画『スーパー30 アーナンド先生の教室(原題:Super30)』を映画館で観てきた。

ビカース・バハル監督、主演リティク・ローシャン、2019年、154分のインド映画である。

アーナンド(リティク・ローシャン)は数学の才能があり、大学図書館にこっそり侵入しては、学術論文などを読み漁っていた。ある日、学生でないことを理由に図書館を摘まみだされた彼は、怒り心頭状態だったが、難問の数式の解法が突然ひらめき、さらさらと解いてしまう。学術誌に論文を投稿すると、見事に採択され、ケンブリッジ大学から入学許可証まで届く。家族で大喜びしたのも束の間、渡航費用を工面できず、彼は留学をあきらめざるを得なくなる。

大きな挫折を経験し、進学塾の講師となり、生徒からの人気は集められたものの、彼は満足できずにいた。貧しさを理由に学問をあきらめることに理不尽を感じた彼は、なんと無料の私塾「スーパー30」を始めてしまう。スポンサーがいるわけでもなく、採算度外視で、私財を投げ打っての開校。そこには信念しかない。しかも、手伝ってくれるのは弟一人で、経営者と教師を彼が兼任している。ちなみに生徒は選抜試験を受け、30人が無料で授業を受けられ、寮に入ることができる。

アーナンドは、最高学府であるインド工科大学(IIT)を目指して数学と物理を教え始めるものの、各所から妨害工作を受ける。食料調達にも難儀しながらも、アーナンドは、適切な疑問を持つことの重要性、問題の解き方と考え方を彼らに叩きこんでいく。丸暗記ではなく、どんな問題にも柔軟に対応できるよう、非常に汎用性のある教育なので、生徒はたくましく育っていく。

で、この映画では、はっきりとは触れられていないのだが、カースト制度、生徒のカーストには言及がない。おそらく、それを映画のテーマとして持ち出すと収拾がつかなくなり、また反発されるおそれがあるので、触れられないのだろう。(それほど深刻な事象を軽々しく、スクールカーストなどという軽佻浮薄な表現にしてしまう日本語がわたしは大嫌い。あとコスメ難民とかも大嫌い)

終盤前に「どうせ、こいつは裏口入学の藪医者で何もできない」と医者に対して、生徒たちが暴言を吐くシーンがあるのだが、医者のカーストはそれなりに高いはずだ。しかし、医者になることすら許されないカーストの人々にとっては、実力もないのに特権を手にしている、という反発が常にあるのだろう。特権を手にしている側もそれがわかっているので、それを決して譲ろうとはしない。

現代のインドにおいて、IT分野が発展し、インド人がグローバルに活躍しているのは、インド人がゼロを発見したとか、イギリスの旧植民地で英語ができるといったことだけでなく、カーストに関係なく一発逆転が狙える、新規参入が可能な分野だったからだと言われている。参入障壁が低く、競争が自由であること、誰でも平等に扱われることは活力を生むのだ。

わたしが、この映画で最も共感してしまったのは、英語に対する恐れの描写である。英語を使わなければならない環境に身を置いたことのある人はわかると思う。英語はフランス語や中国語とは違う。英語は世界共通語で、その言語を自由に操れない人は、階層の低さを自ら表明することになる。英語はできて当たり前の言語で、世界中の中産階級を自認している親は、幼少期のうちから子どもに英語を教えている。だから、英語を話せないことは、自分の親が無教養であり、教育投資を受けられなかったことを告白しているのと同義なのである。ゆえに「恥」の感覚に囚われ、余計な緊張までするせいで、さらに英語が話せなくなるという悪循環に陥ってしまう。この映画では、生徒たちが進学しても、英語が話せないことで差別を受けるのではないか、イジメられるのではないか、と不安を吐露する。自由に使えない言語ほど役に立たないものはない。わたしはイギリスの旧植民地のインドでそのような悩みを持つ人々がいることを知ることができて、どこかほっとした。英語コンプレックスに苦しむ姿、葛藤や恥の感覚を真正面から描いており、英語に支配された世界においては、救われるシーンでもあった。

ただ、このような私塾が日本にあってもそれほど、攻撃や襲撃を受けたりはしないだろう。やはり、学問とは階級闘争の手段となり得る、下剋上の始まりだとインドの特権階級は認識している、ということなのだろう。

『スーパー30』のタイトルのとおり、インド工科大学(IIT,Indian Institutes of Technology)に、30人が全員合格という偉業をアーナンド先生はやってのけてしまう。それは、インドの大学(IIT)は、性別やカーストを理由に入学させない、といったことはしないことも意味している。IITのような一流大学だからこその対応で、試験の平等性を重視している、といったことも考えられる。

一方で、どこかの国の医学部は入試の際、女性の点数が減点され、入学者数が絞られていた。もちろん、インドにも苛烈な女性差別はある。しかし、先進国であることを自ら放棄してまでも既得権益を守りたい、差別主義者であり続けようとする信念の強さには拍手を送りたい。(もちろん、皮肉である)

格差とは自然にできたものではなく、不平等によって、スタートラインが異なることによって生まれたものなのだ。それを是認してはいけない、ということをアーナンド先生は、その生き方と信念で、表現してくれているのだ。世襲政治家が何を言っても響かないのは気のせいだろうか。

全然、話は違うのだが、アーナンド先生を演じているリティク・ローシャンは、ライアン・ゴズリングに雰囲気が似ている。

あと映画の途中、「intermission」という表記は出たが、日本の映画館は休憩なしで、ちょっとがっかりした。

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