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この身ひとつでできること

今現在、わたしは退職前の「絶賛有給休暇消化中」である。

(有休を消化させてもらえるぐらいのブラック企業でよかったね)

これまでは、毎日、会社と労働契約を結んでおり、体調が悪くとも、気分が乗らずとも、出勤をしていた。それが日々のリズム、社会的な約束であり拘束でもあった。

それがなくなり、わたしは「自由」だ。自由を謳歌しているはずなのだが、やはり日々に波がある。

「やっほー! 超楽しい!」とノリノリのときと「はあ、しんどいわ」と落ち込むのを繰り返している。

「穏やか」「平常心」からは、ほど遠く、どちらかの極に触れてしまう。

それはおそらく、この状況に慣れていないからだ。

どこかに出かけても疲れるし、どこにも出かけなくても疲れる。運動してから寝ているのだが、眠りが浅く、起床直後から疲れていたりする。困った状況である。

「自分にできることから始めよう!」というわけで、今日、本棚の整理を始めた。自分の専門領域の本がこれからの人生で要らなくなるかもしれない、と思うと、それはそれで複雑な思いがする。

自分の努力や気持ちが空回りしていたようで、切なくなり、泣きたくなってくる。

しかし、わたしは、無職であっても、転職したとしても、生き続けていく。今、生きているわたしが必要としないものは手放す必要がある。(部屋が狭いからね 笑)必要になったら、買えばいい。古本市場も含めれば、買えない本はそうそうない。(もちろん、江戸時代の本や洋書の古書は、売ってしまったら二度と手に入らないよ)

時間と体力、そして集中力には限りがある。

やりたいこと、やってみたいことは山ほどあるのだけれど、我が身はひとつしかない

アイデアが前進しないことを嘆くのではなく、それはもうキャパシティオーバー(自分の容量を超過)していることを認めなければならない。

認めたうえで、生活のなかで本当にすべきことと、そうではないことを分別して、削ぎ落していく。

考える負荷を減らし、作業と行動に集中する。

自分に過度な期待はせず、できなかったことを数えて落胆するのではなく、淡々とこなしていく。

退職するにあたり、多くの人に「少し休んで」「まずは、心を回復させて」と言われたのだが、いまいちピンときていなかった。

わたしは、わたしが思っている以上に、傷ついて、疲れているのかもしれない。平気だと思っていたわけではないのだが、一人でいるのに、気分が乱高下するので、微妙に疲れが溜まっていく。

急に感傷的な気分に襲われたり、悔しさでいっぱいになったりする。

無職の時間をロングバケーションとか、ボーナストラックとして捉えていたのだが、実際はリハビリの時間なのかもしれない。

そうであるのならば、もっと遊んで、気楽に過ごしたい。無職のくせに、生産性を考えてしまったり、自分で自分にタスクを課すのは、現代病なのだろうな、と思う。



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