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#映画感想文161 『サバカン SABAKAN』(2022)

映画『サバカン SABAKAN』を映画館で観てきた。

監督・脚本は金沢知樹、舞台は長崎、1980年代の子どもたちのひと夏が描かれている。2022年製作、96分の日本映画である。

正直、映画的なカタルシスは何もなかった。何というか、長崎独特の田舎の因習のようなものが、まったく描かれていないので、風景が長崎でなければ長崎であることがまったくわからないような映画であった。ただ、長崎の風景は、空、海、山はどれも美しく、脚本のまずさをすべてカバーしているようなところがあり、長崎のプロモーション映画としては満点である気がした。

少年たちがあることをきっかけに友達になり、関係が深まり、仲良くなった反動で少し離れてしまう。「友情はセックスを介在させない恋愛に過ぎない」と橋本治が喝破していたが、わたしもそのとおりである、と思う。誰かと仲良くなり、近づくときは、恋愛のはじまりとそう変わらない。そういった意味で、二人の少年は近づいて離れ、別離がやってくる。

冒頭の中年の主人公(草彅剛)が売れない作家で行き詰っている描写、離婚して妻のもとにいる娘と定期的に会うシーンが、水族館のイルカを登場させるためにしか見えず、主人公が脚本の道具になってしまっている。何が意図されているのか、正直わからなかった。

ちなみにこの映画の製作は「新しい地図」の事務所であるCULENで、エグゼクティブプロデューサーは飯島三智さんである。

国民的グループを育て上げた人だけあって、大衆的であること、誰も傷つけない表現というものを考え抜いた人であると思う。しかし、それって映画との食い合わせがすごく悪いと思う。

映画はテレビが誕生して以来、テレビでできないことをやることが使命になった。映画の神であるゴジラは怒り狂って、東京タワーを引き抜いていたではないか。

テレビ的であること、国民的スターであることへの呪縛は、タレントたちではなく、マネージャーであった飯島さんが背負ってしまっているのかもしれない。

あまりに優等生的な映画で、テレビの2時間ドラマなら文句を言わなかったと思う。別に映画で暴力とセックスを描く必要はない。ただ、観る前と観た後で、観客の世界(世の中)の見え方が少しでも変わっている必要があると思う。新たな視座や1980年代から2020年代を批判するような批評性もなかった。

唐突に登場する不良たちも、主人公たちを都合よく助けてくれる男女も、何というか、1980年代的な人々という印象も受けなかった。海で遊んだ主人公である少年二人が壊れた自転車を引きずりながら、真夜中に再び山に登り下山をしていたら、心配した親が警察に行ってしまい、捜索で町中大パニックとか、そういう展開があれば「冒険」だったと思うが、子どもの身の危険を案じて先回りして助けてくれる大人が登場してしまうので、子どもたちだけの冒険になっていないのだ。別にそこはコンプライアンスでも問題にはならないと思うのだけれど、子どもの力を信じているようで信じていない大人が作った物語に見えてしまう。

そう、ドラえもん映画だって、ドラえもんに甘えっぱなしののび太が苦難にぶち当たり、敵に立ち向かい、四苦八苦するのが定番ではないか。この映画の主人公たちは、身から出た錆による失敗などもなく、いい子たちで終わってしまっている。

そういう意味では『ミッドナイトスワン』は、やはり、良くも悪くも監督の作品(もの)だったのではないだろうか。

親子で安心して観られる映画であることは間違いない。でも、映画館で観たいのは、親と一緒には観られないような映画なんだよなあ、と思う。

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