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わたしが充実感と満足感を得られること

前回の記事で、「ぐるっとパス」を購入し、狂ったように都内を歩き回っていると書いた。

ただ、その途中で、急な空しさに襲われたので、その理由を整理しておきたくなった。

わたしが充実感を得られること

やはり、自分がどんなことに充実を感じるかというと、良質なものをインプットして、アウトプットまでがセットなのだと気が付いた。

英語学習は、勉強してTOEICの試験を受ける。本を読んだら、読書感想文を書く(心が動かなければ感想文は書かないので読んでいる冊数はもっと多いんですよ)。映画を観たら、映画感想文を書く。

アウトプットがないと、自分の中を通り抜けていくだけで、溜まっていく感じがしない。「積み重ね感」がないと、自分の空虚さがさらに強調されるようで気分が落ち込む。

わたしは美術に疎いので、展示会に行ったところで、歴史的な背景、文脈や画家同士のつながりなど、まったくわからない。色や形を凝視するだけで、展示会場を出たら、すっきりさっぱり忘れてしまう。それでも、自宅で寝ているよりはずっといいのだけれど、もう一人の冷静な自分が「君は一体全体何をやっているんだい?」とツッコミを入れ始めてしまった。

寒波の中、歩きながら、「勉強したほうがいいな」とか「うちで本を読むべきだったか」などと考え始めてしまった。(寒波だから考えてしまったのかもしれないが)

それに1日に2~3つの施設を回ると、やはり一つ一つの印象は薄くなってしまう。しかしながら、そもそも貧乏性なので、ぜいたくな過ごし方ができない。

ある日、心がポッキリ折れないために

どこかに出掛けて、新しいことを知り、頭をリフレッシュさせるのは、娯楽というよりは、セルフケアの一環なのだ。自分で自分を雑に扱っていると、人間は、見事なぐらいに荒んでくる。そうなる前に、対処しておく必要がある。心が折れるような出来事があっても心のバランスが取れるように、依存先や安全な場所を複数確保しておく必要がある。

誰も助けてくれない

人の助けを簡単に借りられる人も世の中にはいる。実家が太く、自己肯定感が高く、親類縁者知人友人恋人諸々に恵まれている人がいる。そういう人はコネでトントン拍子に就職できたり、無理して働かなくてもいい環境があったりする。

ただ、わたしを含め、世の中の大半の人はそうではない。人生でピンチが訪れても、誰も助けてくれない。自分の足で立たねばならない。

(助けてくれそうな人にも、いざその場になれば突き放されるという悲劇も起こり得る。みんなそんなに余裕はない)

だから、自分自身で自分を守る必要がある。心身ともにケアをして、ストレスを溜めないようにすることが肝要だ。心が折れてしまってからでは、リカバリーに多くの時間を使うことになるので危険だ。

「自分」という乗り物は一台しかないので、それのメンテナンスと、できること、できないことを峻別しておかなければ、すり減って、早晩壊れてしまう。自分が壊れてしまって困るのは、やっぱり自分なのだ。

アウトプット先であるnote

わたしはnoteのおかげで、書くことを習慣化できた。それはnoteのユーザーのみなさんが、「スキ」をつけて、読んだことを教えてくれるからだ。(noteユーザーじゃない人も、心が1mmでも動いたら、ハートボタンをクリックしてほしいと切に思う)。誰も読んでいない、アクセス数1とかだったら、続けられていないと思う。このアウトプットは積み重ねの実感を与えてくれるので精神衛生にとてもよい。

インプットだけでなく、アウトプットすることも含めて、スケジュールを立てておく。この二つを自然と両立させることができたら、自己肯定感が爆上がりしそうな気がする。

そして、こういった試みと調整は、一生していかなきゃならんな、と思う。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!