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#映画感想文253『青いカフタンの仕立て屋』(2022)

映画『青いカフタンの仕立て屋(原題:Le bleu du caftan)』(2022)を映画館で観てきた。

監督・脚本はマリヤム・トゥザニ、出演はルブナ・アザバル、サーレフ・バクリ、アイユーブ・ミシウィ。

2022年製作、122分、フランス・モロッコ・ベルギー・デンマーク合作。

モロッコの海沿いの街サレで暮らす夫婦は、モロッコの伝統衣装であるカフタンドレスの仕立て屋を営んでいる。そこにユーセフという若い職人がやって来て、カフタンの作り方を学び始める。

わたしは夫婦愛をモチーフにした作品をそれほど多くは知らないし、「夫婦愛」なんてよくわからないものだと思っている。ただ、本作を観て、この夫婦のような関係性が世界のどこかに存在しているのではないかと思わされた。

ミナ(ルブナ・アザバル)は仕立て屋を取り仕切っている。押しの強い客の要望は撥ねつけ、職人の夫であるハリム(サーレフ・バクリ)に敬意を払えと堂々と言う。夫は寡黙な人でコミュニケーション上手ではない。役割分担のある、バランスのいい夫婦であることがわかる。わがままな客の物真似をして夫婦で笑い合うシーンは、二人の信頼関係と同志的な雰囲気が色濃く出ており、こういう会話って大事だよなと見ていて思った。

ただ、ハリムは実のところ、同性愛者で、公衆浴場(日本のサウナのようなところ)で、ゆきずりの男性と関係を持ったりしている。真面目な職人かと思いきや、性生活は奔放である。それゆえ、ミナがベッドでハリムを誘うとき、彼は反応が鈍く、いわゆる「お勤め感」がある。ただ、ハリムが寝たふりをして拒絶したりはしないことから、愛情と責任感のようなものが見え隠れする。この二人は決して偽りの夫婦ではない。互いに互いを必要としていることが、日々の暮らしからもわかる。

ミナの夫を見つめる視線が多くを物語る。夫が可愛くて可愛くて仕方がない、といった風なのだ。ハリムもその愛を受け止めている。一方のハリムがミナを見つめるときは、彼女に対する依頼心が見て取れる。

乳癌に冒されたミナは余命僅かとなるが、病院での治療は拒否して在宅医療でモルヒネを打って痛みをやり過ごす。ハリムはミナを失うことを心から恐れている。ハリムは弟子のユーセフに惹かれつつ、心情を打ち明ける。「私の母親は、私を生んだことが原因で亡くなった。父親にはずっとそのことを責められ続けた。だから、ミナは子ども時代に得られなかった愛情を自分に注いでくれた」のだと。

タイトルにもなっている青いカフタンはハリムの技巧を駆使した刺繍が施され、ミナは「あなたの最高傑作ね。私たちが結婚した頃には作れなかったカフタンね」とハリムを褒めたたえる。彼は嬉しそうには微笑む。

ミナはハリムが同性愛者であることも、弟子のユーセフに魅了されていることも知っている。しかし、それらの性欲や恋愛とは別にミナの愛情をハリムが必要としていることもわかっていた。彼女の愛は深く、ハリムは甘ったれである。しかしながら、彼には自分自身の弱さを自覚する謙虚さがあったからこそ、ミナは彼を受け容れることができたのではないだろうか。

終盤、ミナが亡くなり、遺体が真っ白な布で包まれる。それを見たハリムはいてもたってもいられず、彼女に青いカフタンを着させる。結婚式に納品する予定だったが、そんなことはこの際どうだっていい。妻が褒めてくれた自分の最高傑作を妻に着せる。そのような死に装束はイスラムの教えに反しているため、墓地まで運んでくれる宗教者や葬儀会社の人間はおらず、ハリムとユーセフの二人で黙々と運んでいく。ただ、街の人々は美しいカフタンを纏ったミナを目の当たりにする。

職人気質の夫の、不器用な愛情表現、妻に何かを返したいという気持ちを強く感じさせる結末に、久々にボロボロに泣いてしまった。ミナは夫を子ども扱いもしていないし、兄や弟のように思っていたわけでもない。この人だと決めて愛情を注いだように見える。ハリムはこの人しかいないとわかってはいたものの、彼女を裏切っていた。ミナがそのことを知っていても、ハリムを支え続けたのは、「赦し」を与えるステレオタイプの妻の側面と、それだけでは収まりきらない大きな愛もあったのだと思われる。

マリヤム・トゥザニ監督のすごさを映画館で確認できて、本当によかった。

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