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#映画感想文『わたしは最悪。』(2021)

映画『わたしは最悪。(原題:The Worst Person in the World)』を映画館で観てきた。

監督はデンマーク人のヨアキム・トリアー、主演はレナーテ・レインスベ。

2021年製作、128分、ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作映画だ。

主人公のユリヤは、せっかく医大に入ったにもかかわらず、暗記中心の詰め込み教育に耐えられず、やめてしまう。それを端緒として、キャリアを築けず、中途半端な人生を送っている、という描写から映画は始まる。

「恋愛でごまかして」などというレビューがSNS上にあったが、ユリヤはキャリアを築けない自分に傷ついてはいたが、恋愛に注力したのは、逃げでも迷いでもなく、本人の性格によるところが大きいのではないか。わたしは、彼女のことを「最悪」だとは思わなかった。むしろ、「普通」で「凡庸」な人で、よくいる人だ。

器用貧乏で、結果的にフラフラとした人生を歩んでしまうことはよくあることではないか。わたしだって、そのうちの一人だけれど、自分ではコントロールできない、不可抗力な側面もあった。

(人生の空虚さを「恋愛」で穴埋めする人物は軽佻浮薄みたいな評価をされてしまうが、その穴埋め方法が、囲碁や麻雀、キルト、刺繍、筋トレ、とかだと、単純に映画にするのが超絶難しくなるじゃん、と思ったりもする笑)

興味深く思われたのは、二人の彼氏に対して抱く、異なる感情である。

年上のアクセルには「あなたとは何でも話せる」と言い、同世代のアイヴァンには「あなたの前では自然体でいられる」と話す。

これって、何となくわかるのだ。コミック作家、グラフィックデザイナーであるアクセルは、小難しくフロイトの講釈を垂れたりして、しち面倒くさいのだが、だからこそ、どんな話題をふっても嫌がらないし、細かな話もできる。でも、その関係性にはどこか緊張感がある。言い争いになることもしばしばで、説き伏せようとしもしてくる。そして、アクセルも「君のいい加減なところがいい」と言っているから、なんだかんだで相性はよかったのだろう。

一方のコーヒーショップの店員であるアイヴァンは素直で優しい人だから、理論武装したり、いい女を演じなくてもよい。でも、難しい話はできないので、ちょっと退屈と言えば退屈。何でも話せて、自然体でいられる恋人がいたら、それがベストなのだが、その二つを求めるのは高望みなのかもしれない。

そして、20代前半で築いたキャリアを一途に、まっすぐに続け、70歳近くまで、同じ職種でキャリアを築ける人はすごいと思うが、滅多にいないとも思う。親になったところで、子どもと信頼関係を築けるとは限らない。

「何者かになる」ことができている、まぶしい人の方が少ないはず。だから、中途半端な自分を卑下しなくてもよい。中途半端でも何でも、わたしたちは、生きること、生きられる仕事や生活を優先した結果である現在を「最悪だ」なんて思わなくていい。死んでいたら、「最悪だ」と思うことすらできないのだから。

蛇足:アイヴァンを演じていたハーバート・ノードラムさんは、アダム・ドライバーにちょっと似ている。

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