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映画『真実』(2019)の感想

是枝裕和監督の『真実』を2019年11月某日に映画館で見てきた。

カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホークが出演している。

本当のことは誰にもわからない。すべては藪の中だと芥川龍之介も指摘しているとおり、真実は人の数だけ存在する。カトリーヌ・ドヌーヴが演じるファビエンヌが語る『真実』は、娘にとっては受け入れがたいもので、それを軸に物語は進行していく。

しかしながら、この映画は大女優の人生の真偽を問うような物語ではない。また、ファビエンヌは真実であることに別段価値を見出していない。なぜなら、彼女は大女優であり、女優である自分にとって、付加価値をもたらす自伝本として『真実』を執筆したに過ぎない。彼女は良き母親であることより、仕事を選んだ人でもある。彼女の生き方はある意味で潔い。

大女優を母親に持った娘は、母親に対して、複雑な思いを抱えながら、成長をしてきたことがわかる。娘が中年を迎えても、母と娘の齟齬は解消されないままである。しかし、母親に反発と批判を繰り返しながらも、職業人として母親の才能を尊敬していることが徐々に明らかになってゆく。

この映画で最も印象深いのはイーサン・ホークであった。彼は、娘の夫でアメリカの売れない俳優である。フランスの家族は文化的に成熟と退廃を抱えたヨーロッパ代表のようにふるまい、新大陸のアメリカ人(あるいはハリウッド)を馬鹿にしているような空気感すらある。アメリカ人の夫は、フランス語がわからず、家族の団欒に参加できているようで、まったくできていない。見ているこちらが、いたたまれなくなるシーンもいくつかある。娘も、彼を「夫としては頼りないが、いい父親でいてくれればいい」というようなあきらめも垣間見える。そのことに夫は気づいており、それがまた痛ましい。マジョリティの中にマイノリティとして放り込まれ、短期間とはいえ、異文化の中にいなければならない夫の心細さに一番リアリティを感じた。

是枝監督前作の『万引き家族』と比較すれば、ドラマチックではない。しかし、チクチク刺すような痛みがある。アクリルのセーターが素肌に触れたときの違和感のような、ある瞬間だけ、ふと気づくような痛みである。強弱はあれど、是枝監督は、一貫して家族が内包している痛みを描き続けている。

フランス映画は、人生の痛みを露骨に描く。グザヴィエ・ドラン監督・脚本の映画『たかが世界の終わり』2016年(カナダ・フランス合作)は、とにかく痛かった。家族だからわかりあえるなんて妄想だよ、と言われているかのような結末に驚かされた。ナイフでぐさぐさ刺されるような映画である。

それと比較すれば、『真実』は小津安二郎が描いてきた家族映画の系譜に属する日本映画なのかもしれない。

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