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#映画感想文200『フラッグ・デイ 父を想う日』(2021)

映画『フラッグ・デイ 父を想う日(原題:Flag Day)』を映画館で観てきた。

監督がショーン・ペン、主演がディラン・ペン、ジェニファー・ヴォーゲル原作。

2021年製作、112分、アメリカ映画である。

タイトルのフラッグ・デイとは、アメリカの星条旗制定記念日で、この物語の父親の誕生日である。

ショーン・ペンが演じるジョン・ヴォーゲルは、定職につかず、いろいろなビジネスに手を出しては失敗を繰り返し、アメリカ各地を転々としているような男性で、妻子を捨てて若い女の子と暮らしたりする、いわゆる駄目な人である。

ジョンは子どもたちの前では、明るく楽しい父親を演じる。娘であるジェニファーは、アルコール中毒になってしまった母親から逃げるためにジョンのもとで一時的に暮らしたりする。その後も、母親の再婚相手に高校生の時に強姦されそうになり、父親のもとに逃げたりもする。生活が安定してきたかと思いきや、父親は銀行強盗で逮捕されてしまう。ラストは偽札を作ったことで、警察に追われることになる。

わたしは「駄目人間でどうしようもない」とジョンを断じることができなかった。

わたしの身近な知り合いにも、ちょっとズルをして大金を手にした人の話を信じてしまったり、努力していないけれど東大に入れたといった甘い話を真に受けて大失敗したり、人生をショートカットして大成功してやろう、という怠け者がいる。

彼らは、馬鹿なくせに自分が他の人よりうまく立ち回れると信じていて、痛い目にあっても懲りず、厚かましく他人に頼る。本などは読めないので、人伝に聞いた情報や匿名掲示板、まとめサイトとかに書かれている、自分に都合のいい楽ができる話などはすぐに信じる。その一方で、努力とか艱難辛苦の話はスルーして、他人の苦労は低く見積もる。そして、そのような自分が駄目なことがわかっているのに変わることができない。なぜなら、ダメな人だから、地道な積み重ねができない。こういう人は、どこにでもいる。

(わたしは、そういう人を理詰めで追いつめてしまうようなところがあるので残酷な人間であると自覚している)

そして、そのような人たちは、自分が愚かであることは自覚しているので、他人には優しかったりする。父親のジョンも、そんな感じだった。

わたしはこの映画を観ながら、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を思い出していた。

「あなたが努力ができたのは運がよかっただけ。あなたが大学に入れたのは能力ではなく運がよかっただけ。ほかの人よりチャンスに恵まれていただけ。だから、もっと謙虚になりなさい」というメッセージが変奏曲のように繰り返される本であった。

今、世の中には、自分の経歴や能力を勝ち誇る人がとても多い。でも、どんなにすごい才能があっても、能力を活かせるとは限らない。よくないたとえかもしれないが、もしアフガニスタンで女性に生まれたら選択肢などほとんどない。学ぶことすら制限される。しかし、アフガニスタンの女性に能力がない、などとは言えないだろう。機会がなかっただけだ。

わたしたちは、自分は正当な努力をしてチャンスを手に入れ、不当な理由で恵まれなかったと嘆いたりするが、大体のことは「偶然」に過ぎない。実力でも能力でもない。だから、もっと謙虚になり、他人の弱さ、自分の弱さを受け容れなければならない。誰かを非難したり、罰するのは簡単なことで、それは思考停止に近い。そんなことを思い出してしまった。

父親のジョンも、チャンスに恵まれなかっただけなのだ。そして、人間の弱さ、変われなさというのは、普遍的なテーマだと思う。

(蛇足ではあるが、30歳のディラン・ペンが高校時代の娘を演じるのはちょっと無理があったと思う。正直、わたしは混乱してしまった。高校生の女の子って、頬に脂肪があって、ハリがあるものだ。彼女は痩せており、頬がこけているので30代に見えてしまった。)

あと、字幕翻訳は松浦美奈さんなので間違いないです!

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