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体力は才能!

コロナ後遺症で、ただでさえない体力がさらにガクンと落ちて、YouTubeをだらだらと見ていたら、「体力」に言及している動画がちらほらあった。確かに体力と集中力には密接な関係がある。体の丈夫さ、免疫力の強さなども、体力とは無関係ではないのだろう。体力があることはそれ自体才能である、と言われると、なるほどと思う反面、「それでわたしはどうすればいいのさ」と反発したくもなる。

わたしは子どもの頃から、10時間ぐらいの睡眠が必要だった。年を取ってからは、7時間ぐらいで済ませていたが、コロナ罹患後は再び10時間睡眠に戻ってしまった。もしかしたら、これまで無理をしていただけで、適正睡眠時間は10時間なのかもしれない。ただ、9時間拘束で働き、通勤往復に3時間弱、睡眠10時間だと、残される時間は2時間。身支度、食事、入浴で終わる。

十代の頃は、人混みがすごく苦手で、土日に繁華街に出かけると、買い物などの目的を達成する前に帰りたくなるぐらい疲れやすかった。今はそれを克服できたと思っていたが、それは単なる勘違いで、本当は疲労していたのかもしれない。

先週末、「復調したかも!」と調子に乗って、映画館をはしごしたら、今週は見事に絶不調であった。咳が止まらず、呼吸器科に行ったら喘息だと診断される始末。人生初の喘息。お医者さんによると、「マイコプラズマ肺炎は咳が止まらず、発熱もあるので、もっと大変ですよ」とのこと。ただの喘息でよかったのか。そうなのか。

文武両道というのは優秀な学生を形容する言葉だが、彼らがスポーツも勉強も頑張れたのは体力があったからなのだと思うと合点がいく。盗んだバイクで走り出したり、放課後にやんちゃをしてきた人たちも、かなり体力のある人たちだ。わたしは学校に行くだけで、へとへとであった。

体力強化のために筋トレや有酸素運動をするためジムに入会して、コロナに罹患したので、運動でどうにかできるとは思っていないし、今はそのときではない。(休眠会員になるほど太っ腹ではないのでジムは退会済)

体力はすぐさま手に入れられるものではないので、体力がない、という前提を忘れずに動く。持ち札が少ないことを自覚しておく。やることを減らして、限界がくる手前の手前でやめる。無理をしない。余力を残す。

運動はコロナ罹患前にしていたウォーキング、ニンテンドースイッチのリングフィットアドベンチャー、フィットボクシングは再開したいと思っている。できないときはスクワットとラジオ体操。あと食事には気を付ける。やりたいことをやっておかないと生きる意欲も失われるから、その時間を捻出することはあきらめないようにする。少なくとも、自宅にいる時間を楽しめるように飲み物とか、飾る花ぐらいにはお金をかけてもいいことにする。

体力は他人からは見えにくいものだが、人生を大きく左右する。今回のコロナ罹患は、運動をすると風邪をひく、という学生時代からの原則を思い出すきっかけにもなった。そういう人間は、よく食べてよく寝るしかないのよね。個人が持つエネルギーに関しては、前々から思っていることがあり、また別の記事で書きたいと思う。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!