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2年前の無職期間を振り返る

先日、『不思議な夢を見る』という日記を書いたが、昨夜は怖い夢を見た。

とある知り合いが獣のように人肉を食べている。わたしに気が付くと、罵詈雑言を浴びせてきたが、犬のように走り去っていった。

知り合いの罵詈雑言の内容は、わたしが日頃から、身近な人からこのように思われているのではないか、という若干被害妄想、誇大妄想的な思考が反映されたものであったので、目覚めたとき、驚きはしなかった。

しかし、人肉を食べるって、何だろう。

そういえば、先日、ナ・ホンジン監督の『コクソン 哭声』という韓国映画を何度か観た。初見では意味がわからず、見直したせいで、刷り込まれてしまったのかもしれない。

あと、『ボーンズ・アンド・オール』という映画も、ちょっと混ざっていたような気がする。(残念ながら、シャラメは出てこなかった)

昨夜は、昔の上司を無視する夢を見た。大きな講堂のようなところですれ違うのだが、わたしは一瞥もせず、気付いてすらいないという振る舞いをした。その人のことは嫌いではなかったはずなのだが、わだかまりはあったのだろう。8年も同じ職場にいれば、そんなものだ。

気温が下がり、眠りやすくなったせいで、ここのところ、よく夢を見る。寝起きにいろいろ考えてしまうので、あまり見たくないのだが、自分の心理状態を知るためにも書き留めておくのも悪くはないだろう。

2年前の今頃は、有給休暇消化中で、noteの更新ぐらいしかすることがなかった。パワハラとモラハラの部長に裏切られて退職したという経緯があり、人生のどん底だった。他人を信用なんかしてたまるか、やっぱり人間なんてろくなものではない、という怒りと嫌悪感に支配されていた。

今は人を信頼できるまでに回復したかというと、そんなことはない。ただ、人間関係とは流動的なものであり、同盟を組めるときは組んで、袂を分かつときは離れるしかない、ということはよくわかった。

それと、苛立つことがあったら、「なんでわたしはこのことに腹を立てているのだろう」と自分の感情を眺めて、ひと呼吸をして、安易な結論を出すことを避けられるようになった。人を決めつけない。人を断じない。自分の感情を増幅させない。認知行動療法や仏教の瞑想のやり方を学んだことは、よかったかなと思う。

でも、まあ、「おまえらは馬鹿なうえに仕事も頑張らないから死ねばいいよ」みたいなことを平然と口にする上司のいる職場を離れたのは決断としてよかったのだと改めて思う。給与は当時より8万円下がった。そして、履歴書は汚くなってしまったけれど、きれいだったら、今の自分はいないと思う。怨嗟にまみれ、メンタルもやられていただろう。

二年前には戻りたくないのだけれど、あの期間があったからこそ、謙虚になれている、という側面は間違いなくある。所属があることの安心感を認め、仕事があること、職場の人に感謝するようにもなった。

「自分」に対するこだわりも、若い頃に比べれば、100分の1ぐらいになった気がしている。わたしの存在など、五木寛之先生が言うところの『大河の一滴』であり、砂粒のひとつに過ぎない。以前はそのような人生観が虚構染みていると思っていたが、実感としてわかるようになってきた。



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