映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(2019)の感想
ウディ・アレン監督・脚本の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を見てきた。久々に松竹に行った。
キャストは、今をときめくティモシー・シャラメ、セレーナ・ゴメス、エル・ファニング、そして、冴えない中年男として、ジュード・ロウも出ていて、驚いた。
この作品は、#me too運動が起こり、ウディ・アレンも過去を糾弾され、公開が延期になっていたらしい。(ウディ・アレンの過去の事件については、何とも言えないのだが、ダイアン・キートンがいつもウディをかばう様子を見ていると、無実であってほしい、と願う気持ちはわかる)
この作品は、ウディ・アレンらしい作品である。経済的な苦労のない若者たちの贅沢な暮らしぶりと些末なやりとりが続く。それは悪くはないのだが、絶賛している批評を読むと、無邪気にスノッブさを有難がるのはダサいのではないか、などと考えてしまった。
ウディ・アレンは、金持ちを罰することがない。金持ちは、悪事を働いたとしても、金持ちであるがゆえに最後まで逃げ切れる。おそらく、現実はそちらに限りなく近い。フィクションにおいては因果応報が描かれることが多いが、アレン作品はそうでないことが平然と描かれ、「これで終わりかよ!」と何度も驚いたことがある。
本作は、彼女にふられつつあることに気づきながら、お母さんに会いたくないと騒ぐ馬鹿息子の情緒不安定を楽しむ映画である。たわいのない恋愛と金持ちの若者たちのどうでもいい悩み、どうということのない結末が待っている。
ただ、一点すごく驚いた。ティモシー・シャラメとエル・ファニングが、口を閉じて、口角をあげ、にんまりと笑う。その笑い方が、私の身近にいる金持ちの子どもの笑い方とまるきり同じなのである。金持ちの子どもの笑い方は、万国共通なのだろうか。あれは、ウディ・アレンの演出なのか、あの二人の演技なのかわからないけれど、そこで一番感動してしまった。
ウディ・アレンの映画では『ハンナとその姉妹』や『ウディ・アレンの重罪と軽罪』に衝撃を受けた記憶がある。彼は多作なので、渾身の一本というのはないと思う。『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を見て、がっかりした人は懲りずにほかの作品も見てほしいと思う。
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!