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#読書感想文 三谷はるよ(2023)『ACEサバイバー 子ども期の逆境に苦しむ人々』

三谷はるよの『ACEサバイバー 子ども期の逆境に苦しむ人々』 (ちくま新書 1728)を読んだ。2023年5月に出版された本である。

ACEとはAdverse Childhood Experienceの略で、子ども期の逆境体験を指す。それが原因で、その後の人生でさまざまな困難に直面していることが、アメリカの研究では明らかになっているのだという。

本書の目次は以下の通り。

序章 人生に傷を残すACE
第1章 ACEの心身への影響
第2章 ACEの社会経済的地位への影響
第3章 ACEの人間関係への影響
第4章 ACEによる悪影響を断ち切るには
第5章 ACEサバイバーが語る人生
終章 ACEサバイバーが不利にならない社会へ

ちくま書房

正直なところ、読むのがきつかった。思い当たる節やそれに該当する自分自身の行動はいくらでもある。

日本社会においては、一つもトラウマがない、という人は、三割ぐらいで、七割ぐらいの人々は、何らかのトラウマを抱えているのではないかとわたしは勝手に思っている。

そして、トラウマを抱えていない三割が社会的に成功をおさめ、リア充で、生存者バイアスで語りまくる人々なのではないかと思っている。で、こういう人たちの方が社会の中枢に占める割合が多いので、対処してもらえる日は来ないのではないか。(悲観的すぎるかしら)

一方の七割の人はトラウマとその影響を言語化と認識できている人とそうでない人にわかれ、どちらにせよ、こんがらがった人生を送っているのではないだろうか。

以下の本がトラウマに対処するための本として取り上げられている。

著者はACEサバイバーが抱える問題は「見えにくいマイノリティ問題」(p.192)であり、ハンディキャップを抱え不利な人生を送っている(p.193)と主張してくれている。

そのことに安堵しつつも、その一方で、もうどうしようもないな、とも思ってしまった。

いろんなチャンスを逃してしまった過去の悔恨、この人生を放り投げたいと思った経験は一度や二度ではない。トラウマが原因で起こしてしまったトラブル、きつい言葉、他人を傷つけたり、迷惑をかけてしまったこともあった。そのようにしかふるまえなかった自分は可哀想だと思うし、周囲の人には今でも申し訳なく思うが、言い訳をしたところで許してはもらえないだろう。

傷を抱えているとはそういうことなのだ。自分の身を守るために、過剰反応してしまう。恐怖によって全身が緊張して強張り熱くなり、動悸が激しくなるような身体反応を経験したことがない人もこの世にはいるのだろうな。

「いつまでも過去にこだわるな」とトラウマを超克して人生を謳歌している人もいる。トラウマに苦しむことを子どもっぽい我がままだと断じる人もいる。ただ、それに対して言いたいことは、わたしの生き残り戦略はあなたとは全然違う、ということだけだ。

だから、わたしは近しい存在である恋人や家族がほしいと嘯きながら、心底要らないと思っている。傷つけるのも傷つけられるのも、もう十分なのだ。

アドラー的に言えば、不幸な自分にとどまる決意をしている、とも言えるだろう。いまだに人間関係のすべてが「リスク」に思えてしまう。それは「お金」や「時間」も、もちろん関係しているのだけれど、それだけではない。残念ながら、一人でいることは、自己防衛としての「最適解」であるような気がしている。一人でいることが原因で死んでも、それはそれで仕方がない。人間関係の中でしか幸せになれないことも知っているのだが、別に幸せになれなくてもいいや、とどこかで思っている。

(というか、一人の今が、これまでの人生の中で一番幸せだ。強がりではなく、自分の身体と心をある程度コントロールできる環境にいればこそ、健やかに暮らせる)

これまでも類書はたくさんあった。自分が「アダルトチルドレン」だからって、どうすればいいのだろう。「毒親」だと定義づけたところで、何の意味があるのだろう。この二つの言葉には違和感があり、嫌いな言葉でもあった。何というか、投げっぱなしのボールで不幸な気分の増幅装置としての働きしかないような言葉だと思っていた。

本書で「サバイバー」と呼ばれることで、これから生きるためにどうすればいいのか、という視点が得られた。

「自分には社会の人からは見えないハンディキャップがある。だから無理をしなくてもいい」と思えた。それが最大の収穫であったと思う。

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