リチャード・プレストン(2014)『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』の読書感想文
リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』を読んだ。(わたしが読んだのは飛鳥新社から2014年に出された版である)
新型コロナウィルスが流行しはじめたときに話題になったと記憶している。
エボラ出血熱は、厚生労働省のサイトでは、以下のような説明がされている。
エボラ出血熱は文字通り出血によって人を死に追いやるウィルスである。致死率は90%とすさまじい。感染が爆発しないのは、宿主が動き回って、多くの人にウィルスをうつす前に、宿主を殺してしまうためである。
本書によれば、一週間の潜伏期間が終わると、目が真っ赤に充血して、猛烈な頭痛と吐き気に襲われ、最後には血が体外に流れ、4日後には全身が痙攣して死ぬのだという。
この本に登場する医者や研究者たちは、思いのほか、不注意で不用意な行動を取る。「あれ? もしかしたら、あのとき感染してしまったかもしれない」というヒヤッとする場面が何度も出てくる。
感染ルートは、はっきりとは特定できていないのだが、洞窟に探検に行き、何らかの動物と接触したことによって人へうつり、粘膜や血液、空気感染によって感染が拡大したと考えられている。
その動物は猿であったりコウモリであったりするのだが、人間の好奇心によって災厄がもたらされている。人類の好奇心や探究心を手放しで称賛していいものなのだろうか。あるときは、それによって得られるものより損害のほうが大きいこともある。
しかしながら、人間の好奇心は止められないだろう。最悪の結末をもたらす、核爆弾は世界中にあるし、AIやロボットの暴走や反乱だっていずれ起こる。これは利便性を追い求めた結果ではなく、もっと知りたい、もっとすごいものを作りたい、という原始的な欲求や感覚に根ざしているような気もするのだ。
アフリカ大陸では、以前からサル痘と戦っていたとテドロス事務局長は言っている。
新型コロナウィルスの出現は、偶然ではなく、必然だったのかもしれない。地球温暖化が、この状況を加速させてもいる。それでも、人間は止まれない。動くように設計されており、適切に立ち止まる方法を知らない。何もしない人は生産性が低いとか、非生産的であるとか侮られることがほとんどだ。じっと待ったり、休むことも苦手だったりする。動かずに一日中家にいると自律神経が狂ってしまうような感覚がある。
交通手段の発達によって、いとも簡単にウガンダにも、フィリピンにも、アメリカにも行けてしまう。お金がかかるから行けていないだけで、運賃が安くなれば人はさらに活発に移動するだろうし、輸送費が安くなれば、物のやりとり、ウィルスの往来も当然活発になる。しかし、これは止められないのだ。
人間は暇と退屈には耐えられず、常に変化を求め続ける。それに生活習慣を変えることも容易ではない。わたしは、肉を食べる量を減らしたいと思っているが、外食だとついつい食べてしまっている。
エボラ出血熱のマールブルグ・ウィルスは1967年に発見され、1994年に終息したかのように見えたが、2014年3月にアウトブレイクし、再び2020年に終息したようであるが、まだまだ安心はできない。
この本はノンフィクションなのだが、小説のような描写、場面転換もあり、事実を羅列している、という感じではないので、不思議な読書体験でもあった。
人間も自然の一部なのだけれど、やはり棲み分けをしなければ、ウィルスの攻撃はさらに強まるのだと思われる。
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