noteの「スキ」にとらわれず
noteを始めた頃は、「スキ」が付くと、ものすごく嬉しかった。読んでくれた人がいて、どこか気に入ってスキを付けてくれたのだろう、と思うと自信にもなった。ちなみにわたしは書き終わったら、すぐ自分の記事に一番乗りで「スキ」を付ける。自分で自分を褒めているのである。えっへん。
失業してからは、noteの毎日更新を自分に課しているのだが、ある時期は「スキ」が全然付かないとイライラしたり、落ち込んだりもした。
やはり、noteがわたしの捌け口であり、外部とつながる手段の一つであり、そこに依存していた、ということだろう。だから、記事に「スキ」が付けば、メールで通知が来るように設定していた。
突然、「通知、要らないかも」と思い始め、通知を受け取ることをやめにした。(アカウント設定で、変更できます)これからは、更新するときだけ、アクセス数を確認することになると思う。
これはnoteを更新することがルーティン化できたことを意味している。よくも悪くも、読まれても読まれなくても、どちらでもいい、と肩の力が抜けており、ウケ狙いを放棄してしまっている、というのもある。
noteは、日々の小さなこと、経験したことを多少抽象化して書いているので、あまりドラマチックにならないし、読み手にはわかりにくい記事もあると思う。稼ぐと覚悟を決めている人との違いはそこにある気がする。そもそも、気合がない。
ただ、手を抜いているわけではなく、社会とのつながりのひとつとして捉えている。
ちやほやされたい、甘えたい、誰かにかまってもらいたい、という自分は、どこかにいる。子どもの頃に比べれば、ずいぶん小さくなったが、生きている以上、その感情がゼロになるわけではない。だから、その自分を転がすため、ガス抜きをするため、公開日記を綴る。誰かに依存するより、よほど健全ではないか。
ブログの場合は、twitterより、センセーショナルにはなりにくく、説明にも手間が書けられるのでよい。facebookでネガティブな心理を書くことに抵抗を覚えるだろうし、インスタはほかの人々のキラキラで具合が悪くなりそうだ。
わたしのnoteは備忘録であり、セルフケアであり、セルフセラピーなのだと思う。なので、波はあれど、淡々と続けてゆきたい。
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