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#映画感想文304『落下の解剖学』(2023)

映画『落下の解剖学(原題:Anatomie d'une chute)』(2023)を映画館で観てきた。

監督はジュスティーヌ・トリエ、脚本はジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ、出演はサンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール。

2023年製作、152分、フランス映画。

夫婦とは、最も近しい他人であるからこそ、関係性がこじれると地獄の様相を呈する。

妻のザンドラは、何作もの小説を出版している作家。冒頭、彼女は自宅で学生からのインタビューを受けている。その最中、夫が大音量で音楽を流し、インタビューの継続は難しくなり、そのやりとりは打ち切られる。

すぐに疑問が浮かぶ。妻は夫に音楽の音量を小さくしてほしい、と頼むことすらできないのだろうか。それほど、夫婦関係は悪いのだろうか。夫は妻に対する嫌がらせでこんなことをしているのか。

息子のダニエルは視覚障害を持っており、犬の散歩に出かける。その散歩を終えて、家の前まで戻ると、犬のスヌープの行動がおかしい。雪の上には父親がいる。どうやら死んでいるらしいことに息子が気が付く。母親に助けを求め、救急車が呼ばれる。

夫はバルコニーから落ちて亡くなっているが、頭の傷が落下時にできたものなのか、落下する前の殴打によってできたものなのか判断ができない。警察が現場検証をして、検死をした結果、不審死とされ、妻は殺人の容疑者となる。

本作は妻が犯人であるかどうか否かを観客が疑いながら見ていくことになる。裁判では仲睦まじい夫婦には、ほど遠い二人の実態が明らかになっていく。

妻はドイツ人で、夫はフランス人。ロンドンで出会い、二人は結婚をする。家庭内の言語は英語。お互いにとって母語ではない。だが、インテリ夫婦なので、それは了解済み。ただ、フランスの山奥に引っ越してからは、夫は妻がフランス語を話すべきだと考えるようになっていた節がある。

妻はバイセクシャルで浮気をしていた。小説と翻訳の仕事で一家の経済を支えていたのは妻。ただし、生活は楽ではなかったようである。夫は自宅を改装して民宿にしようとしていたが、何をするにも金がかかり、借金までしていた。

また、息子が視覚障害を負ったのは、小説の執筆に集中した夫が、息子を迎えに行かず、他人に任せ事故に遭ったことが原因であり、そのことで妻は夫を責めた。夫自身、罪悪感を抱えていた。

夫は償いとして、息子の面倒をみてきたが、自分は一日中、家事と子育てをしているだけで執筆が一向に進まない。夫は作品が書きたかった。一方の妻は、仕事を精力的にこなしていく。現実とフィクションの境目が曖昧な、本人の実体験を思わせる作風で知られている作家として、すでに成功している。

妻の成功を妬み、自分の失敗により息子を視覚障碍者にしてしまった後悔もあり、夫のフラストレーションは極限状態に達しており、夫婦の諍いは絶えなかった。夫は会話を録音しており、裁判でも、その生々しいやりとりが公開されてしまう。夫は自分が去勢された男であるとも表現している。

裁判の終盤は、息子のダニエルが法廷の証言台に立ち、父親とのエピソードを語り出す。ダニエルのパートナーである盲導犬がいつ死ぬかわからないから覚悟をしておけ。おまえの面倒をみて疲れ果てているから、いつ死んでもおかしくない、と車の中で父親から言われたことがある、と。ダニエルは父親が自らを犬にたとえて自殺をほのめかしていたのではないか、と推測を述べる。このエピソード自体、本当にあったかどうかが非常に疑わしい。その結果、妻には無罪判決が出るものの、ダニエルは母親の無罪を信じていたわけではないことも、その後明らかになる。

ラストシーンで夫が寝ていた書斎のソファに妻が寝転がると、犬がやって来て、彼女に寄り添う。犬は、誰がこの家のボスであるかがわかっているのだろう。

解釈はいかようにもできると思うが、わたしは妻が夫を殺したのだと思った。自分の献身ばかりを強調し、妻の浮気と仕事をなじり続け、盗作されたとわめきたて、仕事の邪魔をする夫に憎悪を抱えていた。

そして、息子も被害妄想が悪化していく父親にうんざりしていた。確かに世話になっているが、一緒にいて気分のいい父親ではなかった。息子は法廷で、夫殺しに加担したようにすら見えた。これから自分を養育するのは母親で、母親が刑務所に入ることは、息子にとっても得策ではない。もし、母親が父親を殺したのだとしても、もう父親は死んでおり、何の頼りにもならないことは自明。息子は「実」を取ったのだ。しかし、それを誰が責められるだろう。

いやはや、二時間半は長く、重たい内容だった。そして、この脚本は何といっても夫婦の共作であるところが最も恐ろしいと思う。

あと、人間は自分のために生きないとダメなのだと改めてわかった。誰かのために生きても感謝されないことがある。もちろん、献身的でないことを責められることもあるのだけれど…。

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