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MOMENT JOON(2021)『日本移民日記』の読書感想文

MOMENT JOON(モーメント・ジューン)の『日本移民日記』を読んだ。2021年11月に岩波書店より出版された本である。

著者のモーメント・ジューンさんは、ソウル出身、大阪在住のラッパーだ。この本は「移民」として生きることを決めた人によって書かれている。

わたしは外国に長期滞在した経験はなく、言語能力にも限界があるため、移民になることは、いつのまにか、あきらめてしまった。

わたしが今、ローティーンであれば、移民になりたいと願い、一生懸命語学を勉強しているかもしれない。それぐらい、わたしも日本社会に閉塞感を覚えている。

もちろん、著者のジューンさんが「移民」として感じている息苦しさとわたしのそれは全然違うものだろう。

わたしは、この社会において日本人というマジョリティの属性を持っているため、日本人であることで困ることはほとんどない。しかし、女性であることで、困ったことはいくらでもある。家父長制にはうんざりしている。家父長制というのは、その枠組みの中で、うまくやっていける人間以外は弾き飛ばされるようにできている。夫を主人と呼び、夫婦別姓反対を訴えながら、自分は夫婦別姓で選挙活動をして、家族の絆を謳いながら家事や子育てはすべてアウトソーシングして、名誉男性的にふるまいつつ、芸者のように男性を立てて転がすことのできる排外主義者の、一部の自民党の女性議員のような人しか、家父長制日本では輝くことができない(笑)

著者のジューンさんは真摯に考え続けている。特に、第三章の自分が自分を責め続ける対話は、既視感があった。それは、わたし自身が自暴自棄になっているときにやっている思考の癖によく似ている。悪魔の自分は弁が立つ。論理の弱さによく気が付き、欺瞞やぼんやりとした希望を踏みつけてくる。それに反論する自分も、どんどん削られていく。

「日本は変わらない」という絶望を抱えているのは、著者だけではない。わたしも感じているし、それに苦しんでいる人は少なくない。しかし、その苦しみを率直に語る勇気を持っている人は少ない。著者は、ステレオタイプに傷つき、「日本語上手ですね」という思考停止の無礼な表現に腹を立て、差別と偏見を指摘する。それは在留外国人である著者にとって、リスキーだ。昨今の排外主義者はどこにいるかわからない。でも、彼はヒップホップや小説、エッセイで表現するほうを選んだ。生きているのだから、それが正しい。

疲れるからと考えることをやめ、「どうせ誰にもわかってもらえないだろう」と、あきらめ癖がついているわたしには、著者のささくれだった気持ちすら、ときにまぶしく感じられた。

あと、吹替の日本語が気持ち悪い、という指摘には感謝したい。あの特殊日本語は様式美であり、文句を言ってはいけないのだと思い込んでいた。正直に言うと、わたしも、映画の吹替の女性が話す過剰な女言葉には辟易していたが、これも勝手にあきらめていた。

あきらめることに慣れるのは果たしてよいことなのだろうか。いや、よくない。端からあきらめている怠惰な自分の思考に気付かせてくれる一冊でもあった。

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