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おととい来やがれ、と対になるもの

わたしは音楽配信のサブスクは利用せず、気に入った曲を買うようにしている。1曲しか買わないことも多いので、音楽産業にまったく貢献していないことは自覚している。すんません。

今、宇多田ヒカルの『Gold ~また逢う日まで~』を買って聞いているのだが、「おととい来やがれ」という歌詞があって、ぎょっとしてしまった。

彼女は「キーが高すぎるなら少し下げても~」とか、カラオケで歌っている人に語りかけるようなメタ的な歌詞を書く遊び心がある。

(つうか、JASRACに脅えて歌詞を引用するのって本当に馬鹿らしいな、と思いながらこの記事を書いている)

今回の曲は、悲劇や不幸の芽を日々探してしまう自分に「おととい来やがれ」と叱咤をしているのだが、江戸っ子っぽいこの台詞は何とも言えないおかしみがある。過去に行くことは不可能であるがゆえに、二度と顔を見せるな、二度と来るな、という意味を持つ。

で、タイトルの「また逢う日まで」は、未来に会えたらいいですね、と言いつつ、会う約束まではしていない。「いつか会えたらいいですね」という将来や未来に対する開放感と「絶対に会いたくない」ものを過去として扱うことで断ち切ろうとしているように感じられる。二つの歌詞がちょうど対になるように配置され、ゆるやかに前を向き、いたずらに後ろ向きな思考に陥る自分を戒めているところがとても心地よい。そうか、「今」のことが歌われているのだ。

わたしは音痴で、譜面も読めないし、「猫ふんじゃった」しかピアノで弾けないので、音楽的なことは正直、何もわからない。本当に好きか嫌いか、気持ちがいいか、悪いかといった幼児の快不快のレベルで聴いているので、音楽を評価できる立場ではないことを断っておく。

ポップス(大衆音楽)の世界というのは、解像度のレベルのまったく違う人たちがリスナーになるわけで、それはそれですごい世界だなと思う。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!