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#映画感想文266『暴力脱獄』(1967)

映画『暴力脱獄(原題:Cool Hand Luke)』(1967)を映画館で観てきた。

監督はスチュアート・ローゼンバーグ、出演はポール・ニューマン、ジョージ・ケネディ。

1967年製作、127分、アメリカ映画。

この作品は、映画評論家の町山智浩さんがよくおすすめにあげていることもあり、ずっと気になっていた。ようやく見ることができた。

そんで、町山智浩さんの解説がWOWOWの公式動画としてアップされているので、ぜひご覧いただきたい。(わたしのたどたどしい感想文より、こちらの方がずっと勉強になりますので)

『暴力脱獄』というタイトルから想像されるものとはだいぶ違う。それもそのはずで原題は『Cool Hand Luke』で、暴力がテーマではない。舞台は刑務所なので、暴力も描かれるが、それは作品のモチーフではない。

かいつまんで言えば、刑務所にいようが、娑婆にいようが、人生は牢獄である、という身も蓋もないことを本作は言っている。

主人公のリューク(ポール・ニューマン)はパーキングメーターを壊して逮捕される。なぜ、リュークはそんな罪を犯したのか。画面には「violation」という単語が大写しされる。確かに、彼の行為は違反であり、違法であるが、冷静に考えれば、わたしたちには車を停める自由すらない。私有地でない限り、社会のルールに従わなければならない。その規則には妥当だと思えるものから、人を無意味に縛り付けるものまである。

(日本の中学や高校の校則なんかは下着の色までチェックされたり、染髪やピアスにまで文句を言われる。もはや、日本国憲法を超えているような気配すらある。本当にくだらないのでやめてほしい)

自由はないのに、義務は多い。多くの人は資産家ではないので労働をしなければならない。そんな人生をどう生き抜けばいいのか。リュークはそこと対峙している。刑務所の中で、小さな遊びを楽しむ。(次の一手がないことが最良の手だというのがタイトルの由来だったりする)苦役を楽しんだり、権力者に抵抗したりするものの、わかりやすいゴールはない。人生とはそういうものだ。

明石家さんまの師匠である笑福亭松之助は修業時代のさんまに対し、「掃除が楽しくないなら、どうすれば楽しくなるかを考えながらやってみなさい」と言ったというエピソードがある。当時の彼はそれにハッとして、考え方が変化したと話していた。(ソースはあとで探します笑)

結果ではなく過程を大事にしろ、というのは、そういう意味なのかもしれない。どのような結果が出るにせよ、物事には必ず過程がある。その過程で最善を尽くそうとするのは大事だが、それを毎回やると疲れてしまう。過程そのものを楽しみながらやる。結果が出ようが出まいが、過程を楽しむぐらいの自由しか我々には残されていない。でも、まあ、そこは「自由」なんだから。

そういえば、リュークのママが「あんたみたいに愛してやれなかったから、お兄さんに家をやる」と伝えに来て亡くなるのだが、あのシーンも印象的だった。猫可愛がりできる子どもとそうでない子どもがいることをさらりと言っていた。そのことに罪悪感を覚えている母親は誠実だとも思った。



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