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無職140日目の感慨

無職になって、140日が経過した。5か月弱、もう少しで半年になってしまうのだが、不思議と焦りはない。

ここ最近は、気持ちが穏やかで、イライラすることはほとんどない。刺激がない、ということでもあると思うが、それぐらいでちょうどよい、という感じだ。

去年の今頃は、せっせと休日残業、しかも無給で働いており、ずっとイライラして、疲れていた。誰も助けてくれず、孤立無援だったのも、精神的に参ってしまう原因だった。誰かと一緒なら、そこまで恨めしくは思わなかっただろう。

それと比べると、所属先のないこと、宙ぶらりんであることは不安なのだが、精神的には楽だ。適度なストレスが必要なこともわかっているのだが、これからの人生は、自分を適当に甘やかしていきたい。

自分を追い詰めた結果、億万長者で悠々自適に暮らせていたなら、「プレッシャーもOK!」ということになるが、それにはほど遠いので、これまでのやり方がよかったとは思えない。

わたしは、相手が刀を抜いたら、抜く。自分から刀を抜くことはない。いつも反撃だ。しかし、はたから見れば、キレるタイプの人間なのだろう。怒りを表明するし、ついでに縁も切ってしまう。いじめっ子に反撃して、見事に撃沈。(でも、生きてるもんね)

上記のような行動は、わたしの人生において、明らかにマイナスなのだが、魂が死ぬのが一番嫌なことなので、そこは我慢しない。後悔はない。誰かのドラマの、征服された従順な脇役になるなんてまっぴらごめんだ。いつだって、自分の人生においては、自分が主役なのだから、足蹴にされて、にこにこ笑っている場合ではない。なめられてたまるか。

この負けん気の強さを出すことなく、やっていける職場を探している。時間がかかってもいいや、というあきらめモードでもある。

まあ、なんとかなるっしょ。なんとかならなければ、落ちるとこまで落ちましょう、と思っている。

世の中はどんどんおっかないところになっていて、それに傷つく人たちを膨大に生み出している。もちろん、トリガーが職場環境であっただけで、個々人の人生を振り返れば幼少期や学生時代からの問題が原因となっているケースもあるのだろう。

社会はまともで、大人は大人としてふるまうことを期待して、我々は暮らしているのだが、その約束が守られていないことは、ままある。自我と欲望のせめぎ合いといったところだろうか。

まったり紅茶でも飲んでいたら、あっという間に二時間ぐらい経ってしまう。無職ライフは結構楽しい。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!