見出し画像

急な落ち込みと「鬱」との違いについて

10月だというのに30℃以上の日々が続いたり、寒暖差が激しく、体調の悪い人も多いと思う。

わたしは、発狂寸前かというぐらいに落ち込んでは、翌日はケロリとしていたり、という不安定な日々を送っている。

鬱々としつつ、TEDで「鬱」について学んだ。わたしは、落ち込みが2週間以上、続いたことはないので、「鬱」には該当しないようだ。ただ、落ち込みやすいので、気を付けたい。

あと、婦人公論のジェーン・スーさんの「〈孤独〉は死なないペットのようなもので、飼いならすのは本当に難しい」という記事が、興味深かった。

人付き合いは柔軟体操のようなもので、頑張ればある程度まではできるようになる。しかし、不安定な双方向コミュニケーションは面倒極まりないため、柔軟体操と同じく習慣になるまでが難しい。やらなければすぐに元に戻ってしまうのも柔軟体操に似ている。身体が硬くても若いうちは困らないが、中年以降は怪我のもとになる。それと同じで、人付き合いを避け続けていると、年を重ねてから孤独を持て余し、心が大怪我をする羽目になるそういう話を聞き始めるのは40代後半から。孤独は死なないペットのようなもので、飼いならすのは本当に難しい。(中略)孤独が望む通りに面倒を避け人付き合いを減らしても、孤独を太らせるだけだ。そうなると、飼い主である自分の心がやせ細っていく。孤独とベッタリの生活では身を滅ぼす。環境が変わればどうしたって人間関係も変わるのだから、ある程度は絶えず新しい付き合いを模索していくのが妥当なのだろう。「人付き合いが苦手です」なんて、悠長なことを言ってはいられない。柔軟体操なんだから。難しい問題もあり、人といれば孤独が癒やされるわけでもない。必要なのは他者や場に受容されること。これには縁と運と時間がいる。しかし、家でひとり籠もっていたら、箸にも棒にも掛からない。
ジェーン・スー 「〈孤独〉は死なないペットのようなもので、飼いならすのは本当に難しい」より引用

ちょっと引用が長くなってしまったが、耳が痛い。孤独で頭がおかしくなる人、まっしぐらだ。わたしは、今、本当に一人だ。友達もいないし、家族とも絶縁状態で、男もいない。

そして、ここのところ、わたしは利害関係のない人と、つながる自信がない。

仕事や損得勘定抜きに人付き合いなんて、できるのだろうか。

人間関係には、しがらみと面倒がついて回る。ただ、人間関係がないと「孤独」に苦しむことになる。

どちらにせよ、地獄なのだ。人間関係のなかの地獄に足を踏み入れるか、孤独という名の地獄にはまるのか。

ただ、昔に比べれば、わたしの子守をしてくれるツールはたくさんある。スマホで動画を見ていれば時間は過ぎるし、読みたい本もたくさんある。Twitterのタイムラインは集中力がないときほど、ずっと見ていられる。マッチングアプリをインストールすればチャットをしてくれる相手はいくらでも見つかる。だから、微妙に「孤独」が紛れてしまう。

ただ、仕事をしていても、学校に通っていても、友達がいても、恋人がいても、「孤独」は「孤独」なんだよなあ。

今の「孤独」は抽象性が高くて、誰かといるときに感じる「孤独」は理由が明確で具体性がある。正直なところ、どちらも嫌いだ。

キレやすい自分と、縁を切りがちな自分から卒業できるだろうか。もっと長い目で生きられるだろうか。

ルーティンで、淡々と暮らしたいのだけれど、なかなかできない。

困ったなあ、という感じである。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!