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私が見た南国の星 第1集「蛍と夜空」④

島に来て1年目の野村さんの奮闘!従業員ともだんだん打ち解けていくようです。それににても厨房でのゴミ分別のお話は衝撃的です。乞うご期待。

夜空と蛍


 こんな中国の田舎の小さな県で、言葉の不自由さを抱えながらも、私は自分なりに努力して頑張っていた。話し合える友達は一人もいないけれど、後戻りできないと自分に言い聞かせ、孤独と闘う毎日だった。
いつも窓から見える「美しい星の輝き」が、明日への勇気を与えてくれた事を今でも忘れることができない。時には、悔しさから涙が止まらない時もあった。そんな時には、いつも私の部屋の窓際に「蛍たち」が明るい光りを運んできてくれた。
 その蛍を見ていると、幼い頃の自分に戻ったような気がした。子供の頃、家の近くの川へ兄弟たちと蛍を取りに出掛けた日が、まるで昨日のことのように蘇ってくるのだった。蛍が私の心を癒してくれても寂しさは募るばかり、「日本へ帰りたい!」と涙を流したこともあった。それでも「自分に負けたら終わり、強く生きて行かなければいけない」と、自分自身に言い聞かせて頑張っていた。
 今回の使途不明金については役員たちも「本社の管理不足」として理解をしてくれた。しかし、
「あなたの力を期待していますから、この件の処理をお願いします」
と言われた時は、ものすごい圧力をかけられたような気がした。正直なところ、私の心の中では
「もう、日本へ戻してください」
と言いたかった。でも、なぜか言えないまま、
「はい、今後はこのような事がないよう努力を致します」
などと、心にも無い事を言ってしまっていた。
 この日の私は心身共に疲れて、温泉で体を癒す事にした。露天風呂へ行く途中、夜空を見上げると、満天の星空、そして、その瞬間「流れ星」が目に映った。何年も流れ星なんて見た事がなかったせいか、急に楽しくなり時間を忘れて夜空を見上げていた。そして、露天風呂に入りながら湯煙の隙間から蛍の光りを見て、とても穏やかになれた気分になることが出来た。今の日本では、こんな素晴らしい夜空の星や、蛍の輝きなどを見る事は出来ないだろう。確かに生活をするには、ここはとても不便な所だが、、美しい自然の中で生きていると、お金では得られない素晴らしい時間と安らぎの喜びがあることを知る。苦しく辛い時、夜空の星と蛍がいつも私を励ましてくれた。
「あなたは何て弱気な人なの。異国から来て寂しいかもしれないけど私たちが毎日あなたの側にいるでしょう。負けないで、頑張って!」と、言ってくれているようだった。
「私は一人ぼっちではない。明日を信じて頑張ろう」と自分に誓った。「頑張って」とは中国語で「加油!」(チアヨー)と書くが、字の如く油(エネルギー)を加えることなんだと、「なるほど」と思った。
半年の間にいろいろな出来事が起こり、言葉も少しは聞き取れるようになった私だったが、この地での生活はまだまだ辛い日々の連続だった。

檳榔の林


 



ゴミの分別―ゴミの中から・・・
 
 ここに来て、文化の違い、習慣の違いを知るということは、異国で生活する上ではとても大切なことだと知った。
 毎日の食べ物の味も、日本で味わった中国料理とは全く違っている。味の違いは日本でもあるが、私にとっては油ばかりの食生活は辛かった。夜中になるとひどい胸やけに悩まされた。自分で料理をすれば良いのだろうが「料理人のプライドが許さない」と聞き、自分で料理をすることを遠慮していた。
 ある日の午後、レストランのランチタイムが終了していて誰もいない厨房を覗いて見て驚いた。
 野菜置き場は「だいこん」や「人参、じゃがいも、茄子」などの野菜がクシャクシャに籠の中に詰め込まれ、調理台の上には料理の残り物がお皿の上に置かれたままで、ハエが群がっているではないか。私は思わず、
「何なのこれは?」と大声をだしてしまった。ひどい衛生管理の状態を見てショックを受けた。この半年間、お客様へ安全な料理を出しているとばかり思っていたので本当に怖くなった。ゴミ箱の蓋を開けた瞬間「嘘でしょ!」と、自分の目を疑い何度も見直した。ゴミの山からは野菜の屑やお酒のビン、壊れた包丁、残飯、割れた食器などが顔を出している。「こんな調子で何が料理人のプライドですか!」と腹立たしくなった。
 とりあえず自分で片付けて綺麗にして「見せて教える」しかないと考えた。さすが手でゴミを触るのも抵抗があり、ゴム手袋を探し作業にかかった。ところが、ゴミ箱の中から出てくる物にだんだん興味が出てきて、分別が面白くなった。ちょうど半分くらいのゴミを分別した頃だった。手を奥の方まで入れた瞬間、「ぎゃあ!」と叫び声をあげてしまった。何と私が思わず掴んでしまったのは死んだ「ヘビ」だったのだ。手をいつの間にか離していたらしく、ヘビはコンクリートの床を滑って調理台の下へと隠れてしまった。私は、滑り込んだヘビを捕まえるために外から木の枝を捜して来て、膝を床に付けて調理台の下を覗込んだ。ちょうど真ん中あたりにヘビが見えたので木の枝でひっかけて出そうとした時、何か光る物体が私の目に映った。いくら昼間でも台の下は暗いし、「光る物は何だろう」と思いながら、先にヘビをビニールのゴミ袋へ入れようとすると、今度は調理台の下から目をきょろきょろさせた「ネズミ」が顔を出していた。私にとってネズミは「世の中で一番怖い生き物」だった。
「きゃあー!」と叫んだ瞬間、目の前が真っ暗になり、その後の事は覚えていない。私は暫く倒れていたのだった。
 気が付くと、濡れたコンクリートの床に倒れていたせいか、ガラス窓に写った自分の顔はまるでピエロのようだった。洋服も汚れているし、分別したゴミやヘビの死骸に囲まれていた。「何で私がここまでしなければならないの!」と、情けなくなってしまった。
 とにかく自分でゴミを片付けると決めた以上は、最後までやり遂げようお思った。時計を見ると、いつの間にか夕方の4時半になっていた。間もなく社員の夕食を作る料理人が来る時間なので、慌ててゴミの片付けを始めたが、一人ぼっちでいるのが怖くて作業が出来なかった。そして時間は5時近くになっていた。
その時、私の耳に歌声が聞こえてきた。その歌声が、だんだん近くになってドアが開いた。
「わぁ~」という叫び声にびっくりしたのは私だった。相手はもっと驚いたようだった。私の汚れた顔を見れば、びっくりするのは当たり前だ。
「ここで何をしているのですか」と言われたのだろうが、中国語が分からないので、ただ笑うしかなかった。すると彼も同じように笑い出した。そして、私がゴミの始末に取り掛かった時、不思議そうな顔で彼も作業を手伝ってくれた。「なぜゴミを分別しているのか」不思議なのだろう。彼らは子供の頃からゴミの分別なんて知らないで育ってきたのだから。私は言葉も通じないけれど身振り手振りで、何とか教えた。すると彼は、私に紙とペンを差し出して「ここに書いて下さい」と言った。「そう、中国は漢字の国だし言葉を書くのは全て漢字なのだから」その事に気付き、さっそく環境保護についての漢字を調べて説明した。理解してもらえたかは定かでないが、彼と私の間にはなんらかのコミュニケーションが生まれた事だけは分かった。
 今まで口に出せないほど辛い思いをした私だったが、その日は本当に嬉しくなり、ゴミの片付け後も彼が夕食支度をする姿を暫く眺めていた。社員の夕食が出来上がった頃、各部門から次々に社員たちがやってきた。みんな私の方を見ては笑っているので「どうしたのかしら、皆さん楽しそうね」って、微笑み返しをした。私は自分の顔が汚れたままだった事を忘れていた。「わぁ、しまった!」気が付いた時は社員たちの話題にされてしまったようだった。私も思わず社員と共に笑い出したが、気分はスッキリしていた。社員たちから見れば、職場の総責任者である私の顔が、まるで農作業を終えた農民たちと同じに汚れているのを見て、可笑しくなったのだろう。そんな私を見て、日頃の緊張感が解けたようだった。この出来事がきっかけで、社員たちは私に出会う度、笑顔を見せてくれるようになった。そして、私が自分の部屋にいる時にリンゴやバナナ、お菓子の入った袋を提げて「食べて下さい」と紙に書いて部屋に入ってくるようになった。私は「謝謝」と言うのが楽しくなった。そして、自分の部屋のドアを少しだけ開けて「今日も誰か来てくれないかしら?」と思ったりした。
 
 

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