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私が見た南国の星 第5集「走馬灯のように」①

 第5集の始まりです。ついに、ホテルの売却の話が出てきました。ホテルはどうなってしまうのでしょうか。

 

幸せに向かって


アメリカの作家である、オリバー・ウェンデル・ホームズ氏は、
 「この世で一番大切なことは、自分がどこにいるかということではなく、どの方向に向っているかということである」と明言している。
 それには自分が幸せの方向へ歩いて行くという自信が必要なのだ。しかし、幸せの方向はどの方向なのかわからないので、歩けと言われても歩きようがない。
「今を懸命に生きているのに、なぜ失敗ばかりするのだろう」
と、誰でも一度は思ったことがあるだろう。そして、自分だけが不幸な人間だと考えてしまうのだ。私も海南島に来る、前はそうだったような気がする。しかし、それは自分にとって何の利益もないと教えてくれたのが、ここ海南島での生活だった。 
 何回も失敗してどん底に落ちようと、誰も自分の人生を変えてはくれないのだから、遠回りしながらでもゆっくり歩いて行けば良いと私は思えるようになった。焦らず慌てず、どんなに曲がりくねった道であろうとも「必ず何処かに一休みができる木陰があるのだから」と自分に言い聞かせながら、今を懸命に生きる努力をしている。そして、60歳を過ぎた今でも私自身は幸せの方向を探す途中なのである。
 私は、幸せと逆方向の道を何度も歩いてきたが、それは逆方向なのではなくその道しか進めなかったというしかない。まるで走馬燈のように、グルグルと同じ方向に向かってしまう人生が積み重なって、方向転換できるチャンスを逃がしていたのだろう。命があれば、何歳になっても方向転換をするのは気力次第、幸せの方向は必ず見つかると信じている。
 

第五集


 

「走馬燈のように」


 4年の月日がまるで流星のように流れて行った。そしてその後、私は再び」人生の分岐点に立った。今思えば、これが私の運命なのかもしれない。
日本での生活に疲れて、異国で新しい人生のスタートを切りたかった。しかし、自分の人生を深く考えないで生きてきた私だったので、この海南島の生活は、図らずも険しい山道を歩くことになってしまった。
 海南島生活にも慣れたこの年には、やっと自分の道が見えてきたと思っていた矢先だったが、この年も、戸惑いと不安で始まった。
「自分自身が築き上げてきたものは一体何だったのだろうか」
そんな想いが、まるで走馬燈のように私の脳裏を駆け巡り、眠れぬ夜が続いていた。
 いつの間にか、私の海南島生活、五年目が始まった。この年の日記には、「ここに来なければ私の人生は幸せだったかもしれない」と綴ってある。確かに私は、精神的にも肉体的にも疲れ果てていた。
 今までの、海南島生活は、今思えばいつも私の心を惑わせる不安がつきまとっていたと言える。それは過ぎ去りし日々の出来事なのだが、本当に辛いことがたくさんあった。その苦難を、何とか乗り越えられるだけの勇気と、忍耐を与えてくれたのも七仙嶺だった。夜空を見上げ、満天の輝く星を眺めては、涙を流して困難を克服してきた。しかし、この年には気力さえもなくなるほどの寂しさが募ってきた。

ホテル売却


 2003年からホテル売却の話が出ていたが、社長の戸惑われるお気持を考えると、私自身は最後まで全力で頑張る覚悟でいた。
 利益の出ないホテル運営を続けて行くことは、誰が考えても無理なのだ。しかし、この七仙嶺に、ご自身のロマンを託された社長の信念は、誰も理解が出来なかったのかもしれない。かといって、偉そうに私が一人で頑張ってみても先は見えている。このままでは、赤字金額が増えるばかりなのだから、どうすることも出来ない。ホテルの売却について、私も多くの方に相談をしたが、当時の七仙嶺温泉は、交通の便の悪さ、観光地としての開発の遅れ等のため売却は難しい状況だった
 ところが、このホテルの売却が決まった後、直ぐに、省政府も開発計画に力を入れ出した。2007年には、土地の価格も急上昇をしていた。運が悪かった、そんなことを言ってもあとの祭り、今は過ぎた事実として素直に受け止めなければならない。
 2004年3月から、私の考え方もだんだん変わっていったが、それでも売却に関して再検討をして欲しいという希望だけは捨て切れずにいた。
 3月2日、阿浪と私は三亜市にある亜龍湾沿いのホテルへと向かった。もちろん、売却の件で亜龍湾のホテルオーナーに相談をしたかったからだ。このホテルは、数年前から日本人客の対応に努力をされていたし、オーナーご自身は華僑の方なので国際的な感覚の持ち主だったので、何とかご支援を戴けるのではないかと、出向いた私たちだった。あいにくオーナーは、急用のため香港へ出張中だったが、このホテルを管理されている総支配人には会うことが出来たので少し話を聞いてもらった。ここのオーナーは、私が管理しているホテルへ毎週来店され、温泉浴と食事をされるのを楽しみにしていらっしゃるという縁を頼って来たのだった。何度か日本語で会話をした記憶があり、会いたいと思っていたので、会えなかったのは残念だった。
 総支配人がロビーに来られるまで、館内や社員の接客態度を観察していた。こんなに大きなホテルでは当然、社員たちのマナーが良いと思っていたのだが、ところが、全く話にもならないくらい接待のレベルが低かった。私の社員たちの方が数段上だと思った。たったの15分くらいの間だったが、目に余る点が多く驚いてしまった。暫く待っていると総支配人が来られ、ご自身の口から出た言葉は、
「海南島の社員雇用には問題が多すぎて悩んでいます。その点、あなたのホテルは三亜市の五星ホテルでも通用するくらいの社員が多くて、羨ましく思っています」
という言葉だった。
 自慢話になるが、私が育てた社員たちは、何処のホテルで勤務しても通用すると自信があったので、彼の言葉を聞いて嬉しくなった。心の中では、「もし本当に私の管理しているホテルが売却となれば、社員たちの行く末も考えなければならない。その時には、このホテルで雇用をお願いしよう」と考えた。
 この日は、売却の件で簡単な相談をしたのだが、総支配人からオーナーに話をしますからと言われ、話は終わった。


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