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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑩

野村さんは日本に一時帰国されました。元気にお過ごしのようです。私は海口市で元気にしていますが、国慶節の後パソコンが調子悪かったり、ネット環境が悪かったり、いろいろありまして、もう少しで終わる奮闘記の投稿を中断していました。野村さんごめんなさい。もうひと踏ん張り、頑張ります。

阿浪と一緒に日本へ


 私は間もなく阿浪の就学準備があるので彼を連れて日本へ行かなければならなかった。数日後、阿浪の在留資格や学校の入学許可書などが日本から送られて来たので、ビザを申請するために、阿浪を連れて広州の領事館に出向いた。申請を済ませるとトンボ帰りで海口に戻って、会社の抹消の仕事を続けた。ホテルで勤務していた会計係も、税務の事では最後まで協力をしてくれた。でも、彼はもう次の会社で仕事をしているので、彼の休日に業務をお願いして処理していた。
阿浪のビザが下りたのは一週間後だった。
「阿浪、河本さんへ電話を掛けて報告をしておきました。社長へは河本さんから報告して頂けるそうですよ」
嬉しさを隠せないようだった。阿浪の渡航は四月に入ってからなので、それまでは彼も会社の業務に専念してもらわなければならない。
「阿浪、会社の抹消手続きですが、あなたが渡航するまでには全て終わる事ができません。でも、なるべく終わらせたいので宜しく」
彼も承知してくれた。ところが、私は大切な事を忘れていた。阿浪は間もなく日本に行くが、渡航してしまえば暫くは中国へ戻れない。貴州省の母親に会いたいのではないかということだった。でも彼は、今までその事を口に出さなかった。私は彼に、
「阿浪、ごめんなさいね。日本へ行けば、一年間は理由がなければ中国へ戻れません。故郷のお母さんに会いたいでしょう」
「はい、母に会いたいです。母は、本当に苦労をして私を育ててくれましたので」
その言葉を聞いた私は、彼に直ぐ貴州へ帰るように言った。
「えぇ?!貴州に戻っても大丈夫ですか?」
喜んだ彼の顔は、幼い子供のようだった。
 数日後、彼は故郷へ戻った。でも、母親と過ごした時間は、たったの二日だった。彼もゆっくりしたかったと思うが、やはり会社の事が気にかかっていたのだろう。
 彼が海口市へ戻って数日後、4月10日、阿浪と私は日本に向かった。広州の領事館へパスポートをもらいに行き、その足で空港へと向かった。午後3時、飛行機は名古屋空港へと飛び立った。
 中部国際空港セントレアに到着をしたのは夜だったが、その人混みに驚いた。空港からは名古屋駅まで専用の電車を利用したが、外は大雨で大変だった。私は心を弾ませて楽しそうな阿浪の横顔を眺めていた。
「阿浪、せっかくの日だけど大雨だわね。雨降って地固まると言いますから、この雨は幸運の雨かもね」
彼は再び笑みを浮かべた。こうして阿浪の新しい人生が始まった。日本での初めての夜は、河本氏がホテルを予約してくれていた。大雨が降る中、阿浪と私はタクシーで名古屋市の中心部にある金谷ホテルに到着した。部屋がとても狭く息苦しさを感じた。ビジネスホテルなので海南島にあるホテルとは違うのだ。
「阿浪、やっぱり日本は小さい国だからホテルの部屋も狭いでしょ。明日からは寮生活だから、もっと大変かもね」
彼の気持ちを試そうとして言ったが、彼は平然とした顔をしていた。
「中国は大きな国だけど、どこの地方も一般人が泊まるホテルはたいした事ないです」
日本語が上手になったと思いながら、暫く黙って聞いていた。この日が来るまで、彼は人には言えない苦しい人生を歩んできたはずだ。だから、この日本でも必ず頑張ってくれると信じていた。なかなか寝付かれない私だったが、阿浪の寮生活を想像しながら、いつの間にか眠っていた。


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