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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑥

融資問題決裂

 身体も回復をした数日後、五十嵐さんから融資を受ける事について本社へ連絡した。彼も香港から中国の銀行へ融資金額のお金を移動され、契約を待っていた。何度も問い合わせの電話が掛かってきていたのだが、本社が作成するはずの契約書が届かなかった。やはり、融資を受ける事について迷いがあったのだろう。返済が出来ない場合や、増築しても利益が上がらなかった場合の問題があったのだろう。借用に関して、松岡氏が同意をされていなかったと聞き、本社の体制にも問題が多いと感じていた。五十嵐さんから何度も連絡が入り、応対に困っていた。
 約1ヵ月後、五十嵐さんの気持ちが変わるのが怖かった私は、彼のご機嫌を伺う事にした。彼の携帯電話は通じなかった。しかたなく、奥様へ電話をかけたところ雲南省へ出掛けられているとのことだった。暫くして、もう一度彼の電話へお掛けした時、何だか愛想のない挨拶だったので、融資の件について確認をしようと思った瞬間、「融資の話はお断りします!」
 私が恐れていたことが当たってしまい言葉がでなかった。この言葉を聞き、何度もお願いをしたのですが彼の意思は固く、融資の話は白紙に戻ってしまった。本社からの回答が遅く不愉快になられ、心変わりしてしまったのだ。彼も、回答待ちの間に、三亜市の公安局の友人に相談をしたようだった。
「公安の陳さんも止めた方がいいよと言いましたし、あなたの会社には理解が出来なくなりましたから」
 淡々と言われてショックだった。あんなにも動き回って、この融資についても慎重に対処をして来たというのに、なぜこんな結果になってしまったのかと残念でならなかった。五十嵐さんのお気持も理解できた。彼は別件でも心変わりしたことがあったので、用心をして来たのだ。こんな事になるのならば、社長に広州まで来て頂いた意味がなかった。五十嵐さんの条件は、銀行と同じ利息で融資をするということだった。契約書が遅いからという理由は口実だったのかもしれない。この話を友人たちに相談して怖くなったというのが本音だと思った。しかし、約束が違うと文句も言えないので、仕方がない。あれ以来、彼とは一度も会っていないが、三亜市で中国人女性との間に生まれた子供と一緒に、幸せな毎日を過ごされていると風の便りで聞いた。
 この融資の件が失敗に終わった瞬間、私の脳裏には「廃業」という文字が浮かんでき。「まさか、もう一度このホテルを売却するのでは」思った私の勘が的中した、「増築の設計図まで出来上がり、政府の許可も受理したというのに・・・」。私の心の中は、本社の役員たちのやり方が理解できなかった。
「僕が一人で頑張っても出来ませんから」
と社長は私に言われた。この言葉には、とても深い意味が込められていたような気がした。そして、社長の寂しさが受話器の向こうから伝わってくるようだった。私は身体中の力が抜けてしまったようだった。
「これが日本人なのだ!」と、痛感しながら頭の中が真っ白になった。中国人を見下げている日本人も、コロコロ気が変わる中国人と同じだ。五十嵐さんと本社の役員にも言いたかった。
「子供の遊びをしているわけではないのだから、私を振り回すのもいい加減にしてほしい!」
心の中で叫んでみても意味のないが、情けなくて悔し涙も出なかった。そんな私も偉そうな事を言える立場ではないが、私の数年間の生活は、映画やテレビドラマとは訳が違う。「NG」だからと言って、最初から再スタートが出来るならば、私は素晴らしい役者になる事も可能だ。今回の増築の件は、意欲を燃やしながら進めてきた。一旦は売却の中止で、新たな展開が見えてきた私の人生最後の挑戦だった。「命がある限り、この海南島で生き続けよう」そこまで真剣に考えていた。決して後悔だけはしたくなかった。しかし、燃え上がった炎は一瞬にして消えてしまった。そして、私の人生においてもこのように生き甲斐を感じられる事は二度とないだろう。
 この島は本当に不思議な島だとつくづく思う。ここで生活をしていると、数年間、付き合いをしてきた人の本音が見えてくる。日本で生活をしていた時には、甘い言葉で相手の言う事を信じてしまっていた。この数年間はいろいろな経験をし、人を簡単に信じることもなくなった。その点において、貴重な人生を送ることが出来た。何度も踏みにじられた道端の雑草でも、天の恵みで小さな花を咲かせることもできる。そんな想いを心の中で言い聞かせながら、「海南島での私の人生は、何があっても決して無駄にはしない。たとえ孤独が待っていようと恐れはしない」と、自分自身と戦って生きてきた私の人生なのだ。こんな事を思いながら、最後まで任務を全うさせるにはどうしたらいいか考えた。


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