私が見た南国の星 第4集「流れ星」⑨
この世には、かくも恥知らずな人間がいるとは、驚きです。日本人とか中国人とかではなく、人間としていかなものかと疑ってしまいます。本当に恥ずかしいです。
松岡氏の忘れ物
松岡氏は荷物を事務所へ移動して、旅行の準備をしていた。ところが、その荷物の中を調べたら大切な物が足りないと言うのだった。客室係りが直ぐに部屋まで走って行き、部屋の中を点検したが、荷物らしきものは見当たらないと報告に来た。
「松岡さん、お荷物が見当たらないそうですが、どのような品でしょうか」
私は何も不思議に思わず質問すると、彼から返ってきた言葉に、声を出すのも恥ずかしくなってしまった。なんと彼は、
「部屋に避妊具の箱を忘れてきた」
と言った。一瞬、阿浪も馮さんも声が出せなかった。
「客に失礼がないように、もう一度捜しなさい」
と、阿浪は客室係りに指示した。それでも部屋の中には、避妊具の箱は見つからなかったようだった。松岡氏も自分のスーツケースの中を何度も探していたが、無いと言って、機嫌が悪そうだった。そして、暫くは無言で私の顔を眺めていた。私が、何か言おうしたその時、彼の口から信じられない言葉が出てきた
「どうしますか!貴女はこの責任をどうやって取るのですか。即答して下さい」
一体、私に何が言いたかったのだろう。避妊具が紛失したことで、
「どうやって責任を取るのか」
と言われるとは思いもしなかった。こんなことを言うのは、普通の神経では考えられないことだし、答えなど見つかるわけもなく、暫く無言で聞いていた。すると、
「どうしますか!同じ質問を何度もしていますが早く答えて下さい」
と言うのだった。これは私に対するイジメだと思ったが、精一杯の我慢をしていた。
「もう一度だけ聞きます。責任をどのようにして取ってもらえますか」
松岡氏の言葉に、もう我慢の限界がきた。
「わかりました。このホテルを今日付けで辞めさせていただきます。社長には私の方から事情をご説明させていただきます」
この言葉を言うのが精一杯で、悔しさのあまり涙が出てきた。それを見た阿浪が、松岡氏に対して怒りをぶつけた。
「あなたにとって、そんなに大切な物ですか!そんなに高価なものではないでしょう」
阿浪は私が可哀想になったのだと思う。話を聞いていた社員が、すでに客が入室している部屋に、もう一度、探しに出かけた。宿泊されている客に対しても本当に失礼なことだが、この状況では仕方がなかった。
それから15分くらいして、客室係りが戻ってきて、松岡氏の避妊具は、部屋の机の中にあったと言った。その係りが、避妊具の箱を松岡氏に渡した瞬間、彼は箱の中身を点検した。今度は、
「数が足りない!どうするんだ」
というので、私は理性を失って半狂乱になって、
「もう、いい加減にして!言わせておけばつけ上がって、そこまで言うの!」
とも大きな声を出してしまった。社員たちも驚き、事務所の廊下で心配そうに見ていたという。私は、自分自身がわからないくらい頭が混乱していたので、おかしくなっていたのだと思う。暫くして、社員たちの様子が目に入った。松岡氏は半狂乱になっている私を見て、とても不機嫌な顔をしていた。
少し冷静になった私は、松岡氏の顔から視線を逃がさなかった。
「無免許で捕まった時、誰のお陰で助かったと思っているの!あのまま留置場へぶち込んでおけば良かった」
そんなことを心の中で思いながら、松岡氏を睨み付けていた。私の心は決して穏やかな気持ちにはなれなかった。彼は何も言わず、そのまま事務所から出て行った。
こんな人間が人格者などと言うのであれば、この世は本当に悲惨な世界だ。この人が日本人として尊敬されるならば、私は中国人になった方が幸せだと思った。中国人を非難する日本の皆さんに、この事実をどう受け止めるのか聞いてみたい心境だった。まるで性欲に犯された中毒患者だ。
そんな松岡氏に対する私の気持ちは、月日が流れた現在も変わっていない。この時から社員たち全員も、あの松岡氏に対して見方が変わってしまった。そして、一人の社員が私に言った言葉を聞いて、本当に情けなくなった。
「ママ、副社長が海南島へ来られる理由は何ですか?目的は何ですか」
真剣な彼女の問いかけに対して言葉が出なかった。彼女の言いたいことがわかっていた。
「ごめんなさい」
と、この一言だけ言うのが精一杯の私だった。
全ての男性が松岡氏と同じではないと思うが、理性のない男は死ぬまで治らないのだろうと思った。
松岡氏帰国
松岡氏が彼女と旅行中は、ホテルは観光客の対応で忙しい日々だった。
やがて5月3日、松岡氏が帰国する日が来た。二人はこの日、午後2時頃にホテルへ戻ったのだが、私は事務所で仕事が忙しく気づきもしなかった。
「今、戻って来ました。今日は空港までタクシーで行きますから手配をお願いします」
その声が聞こえるまで計算に夢中になっていたので、直ぐ顔を上げることが出来なかった。そして、あんなことを言われた記憶が脳裏から離れず、返事もしたくない気分だった。でも、相手は上司なので返事をしなければならなかった。
「はい、わかりました。何時にタクシーを来させれば良いでしょうか」
少し不機嫌な私だったので、言葉も冷たく聞こえたようだった。松岡氏は、そんな私の気持ちを察したのか、機嫌をとろうと話かけてきた。私自身、話に耳を傾けても楽しくない心境だったので、聞き流していた。彼は、笑顔を見せながら必死で土産話をしていた。不愉快な出来事もあったが、今日は帰国するのだから、最後の日くらい笑顔で見送らなければと思い、気分を変えて話を聞くことにした。
人間は感情のある動物だから、時には腹も立つ。しかし、嫌なことを言われたら、その人のことは「この人は本当に可哀想な人だ」と思えば気持も治まるものだが、当時の私はまだそんな寛大な心は持っていなかったので、とてもそんな気持にはなれなかった。それでも、もうしばらくは会わない人なのだから、気持を切り替えようと努めた。夕方になり、タクシーが迎えに来た。
「松岡さん、タクシーがお迎えに参りましたので準備をして下さい。お送りすることが出来ませんので申し訳ございませんが、ここで失礼をさせて頂きます」
私は自分の心を冷静にしながら挨拶をした。しかし、最後まで素直な気持ちになってはもらえなかった。
「僕は見送られるのが好きじゃないし、中国は慣れているから一人の方が気楽です」
この言葉が、松岡氏が今回の訪中で言われた最後の言葉だった。私は、もう何を言われようと平気だったので、
「では、お気をつけてお帰りくださいませ。また、お会い出来る日を心待ちにしております。どうか、お元気で」
と挨拶をした。正直なところ、私の心の中では滞在された数日間の出来事を早く忘れたかった。
「さようなら」
と最後に言った言葉が本当の別れの挨拶となった。その後、松岡氏とはホテルが廃業になってからも、一度も会うことはなかった。
今でも松岡氏との不愉快な思い出は心の中に残っているが、彼との出会いは、反面教師として、「人への思いやり」ということを教えられたような気がしてならない。
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