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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」①

 いよいよラスト、第6集です。作者の野村さんは今日(9月7日)海南島から一時帰国のため、日本に向けて旅立ちました。今現在(午後3時半)広州の空港で搭乗待ち中です。今回の帰国にあたり、それはそれは大変なご苦労があったようです。毎日PCR検査、最後に日本の外務省指定病院での検査、証明書・・・当初8月24日の予定を変更しての、やっとの帰国です。野村さんのお話を聞いていると、一次帰国は諦めようと思ってしまいます。
 さてさて、本題のホテルのお話、どのような結末を迎えるのでしょうか?


 海南島生活も、いつしか五年が過ぎていた。今思えば長くて短かった。2000年2月26日に初めて訪れた異国の地だったが、私にとっては海南島が第二の故郷となった。そして、忘れられない数々の出来事も、今となれば懐かしい思い出になった。この思い出を胸に、新たな人生の幕が開けることを祈りながら、これからも私の人生を歩み続けて行こう。
 そして、この「私が見た南国の星」奮闘記は、七仙嶺の自然の強さと優しさを忘れることなく、人生の大切な思い出として、今もなお私を守り続けてくれている。



第六集「最後の灯」


 

ホテル増築のために


 2005年1月28日、社長と河本氏が海南島へ来られるので、朝から出迎えの準備に追われていた。阿浪や馮さんも少し緊張気味の様子だったが、副社長の松岡氏の時と違って、気分的には少し楽だったようだ。「阿浪、今日は香港経由で広州から三亜空港に到着されます。三亜空港には夜の9時45分着ですから、8時にはホテルを出ますので宜しく」
と、阿浪へ声をかけながら、私は館内を飛び回っていた。今回は航空チケットが上手く取れなかったようで、何度も乗り継ぎをしなければならなかったようだった。
 今回の目的は、客室の増築に関して「国土環境資源局」と会見をする事だった。中国の場合は全ての土地が国土で、私有ではないので、許可がなければ増築が出来ないのだ。設計に関しても、全て政府が主導権を握っている。特に、自然を損なうような建築や外装の色にはとても厳しい。ここは自然保護地区なので、ホテル建設も規制がされていた。いくら国土であっても、借地権として大金を支払っているのだから、多少の事は大目に見てほしいと常々思っていた。中国という国は、理解が出来ない点が多くて外資系企業は頭を痛めていることが多い。
 以前は、接待をしなければ、すべての許可が下りるまでに無駄な時間が掛かると言われていた。中央政府からの警告で、接待や謝礼などは禁止だと聞いていたが、実際は何処でも暗黙の了解とされていた。日本でも昔は、今の中国と同じだったと聞いているが、発展途上国ではしかたのないことなのかもしれない。
 一度で話がスムーズに終わるとは思えないので、社長や河本氏も北京市から友人の張氏に助けを求められた。政府との交渉では、馮さんの通訳では心配だったのだろう。張氏は以前、山東省の政府の方と共に来店されたことがあるので、面識があった。彼は日頃から、政府関係者との仕事ばかりされているので、役人相手の会話は上手だと聞いていた。馮さんも今回は大役をしなくても済むため、気持ちが楽だったようだ。
「お姉さん、今回は張さんが通訳をされるのでしょうね」
と、確認してきた。
「たぶん、そうなると思いますが、あなたにも通訳をしてもらう事も出てくると思いますよ」
と、本来ならば彼女の仕事は通訳なので、社長や河本氏の前では言葉に気を付けるようにと注意をした。給料を支払っている以上は、それなりの仕事をしてもらわなければならない。すると、彼女の明るかった顔が、急に緊張へと移り変わったので、
「馮さん、そんなに考え込まなくても良いですから、政府との難しい交渉は張さんにお願いしてあると思いますよ。でも、それ以外の事については、あなたも仕事ですから頑張って下さいね」
と、優しく彼女に説明をした。そんな話をしながら時間も過ぎ、社長と河本氏を出迎えるためホテルを出発した私たちだった。三亜市の鳳凰空港には、予定時間よりも少し早く到着をした。国内線の到着ロビーには、到着便を待つ人々が時間を気にしながら動き回っていた。


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