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私が見た南国の星 第2集「苦しみを乗り越えて」⑮

 海南島で病気になったら大変です。私は野村さんに「もし病気になったら日本に帰りなさい。海南島で病院に行ったらだめよ」と、よく言われます。この島で苦労してこられた野村さんに言われると、そうなんだろうなあと納得、もしも病気になったら、日本に帰ろうと思います。
 それにしても、阿浪はホテルで働いてくれるのでしょうか。気になります。

海口にて


 やがて秋の季節も過ぎ、海南島にも朝夕の冷たい風が吹くようになった。待っていても阿浪からの良い返事は、なかなか届かなかった。
「やっぱり、無理なのかも」と諦めていた私だった。12月初旬は温泉客も多くなり、夜になると客の笑い声が、夜空の星まで届いているかのように聞こえてきた。
「今年もクリスマスが近くなるから、海口市でツリーを買いに行きましょうか。年末、年始の食材も用意しなければなりませんからね」
と、馮さんに声を掛けた。彼女も海口市にある自宅や、母親の事が心配なので嬉しそうだった。
「お姉さん、いつ海口に出掛けますか」
と、楽しそうな声で尋ねてきた。
「そうね、今度の日曜日から出掛けましょう」
と素早く日程を決めた。
日曜日は宿泊客も少ないため、遠方に出掛けるには都合が良かった。
料理長も食材の買い物をするために、一緒に行くことにした。
「私も一緒に出掛けるのですか。ありがとうございます」
彼の住まいは海口市にあり、離婚して2歳の女の子を引き取っているので会いたかったのだろう。彼はまるで満月のような顔で、嬉しそうに笑った。
 社用車で出掛けたのだが、道が悪くて体中が痛くなりそうだった。海口市までは3時間以上の道のりだったので、到着した頃には運転手の呉師も大変疲れた様子だった。
 その日だけでは、買い物の時間が足りず、買えなかった物は明日に回すことにして、一日の日程を終えた。料理長は早く子供の顔を見たくて、ソワソワしていた。
「料理長、もう今から自宅へ戻ってもかまいませんよ。早く子供の顔が見たいでしょう」
という、私の言葉に、彼は何度も頭を下げて行った。呉師は海口市に友達に会うと言うので、夕食後は自由行動にした。夕食は、馮さんのご主人の招待だと言うので、少し心苦しかった。
「馮さん、夕食代は私が支払いますから」
と何度も言ったが、結局、彼女のご主人に全て支払われてしまい、恥ずかしい思いをした。
「夕食後、何処かへ行きたいですか」
と、ご主人に言われたのだが、疲れていたのでホテルの喫茶室で一緒にお茶を飲んだ後は、部屋で休む事にした。そして馮さんは、ご主人と幸せそうに家に帰って行った。
 私は部屋の中でのんびりと、窓から見えるビルのネオンや人の歩く姿を眺めていた。海口市は商業都市なので高層ビルも多く、島では一番の都会だ。いつも山奥の温泉地で生活をしている私は、日本の街に近いような夜の海口市が好きだった。ここには日本の企業もあり、日本人会の皆さんにも会いたと思ったが、仕事で来たので、今回は連絡しなかった。疲れていたのかいつの間にか眠ってしまい、気が付くと朝になっていた。
 朝8時半頃、馮さんが部屋まで来てくれた。朝食を一緒に済ませ、今日の買い物をするため商店街へと向かった。下町の商店街は、ゴミも道路に散らばり、歩くにもゴミが靴に引っかかるのでイライラしてきた。
「何よ、これが海南島で一番の都市と言われている海口市なの。本当に汚い!」
思わず声が大きくなってしまった。料理長と馮さんも、そんな私の声を聞いて言葉が出ないようだった。今では海南島の何処の町でも道路の清掃には気を付けているので、ゴミも少なくなってきたが、その当時はゴミの島だと言っても過言ではなかった。こんな汚い島へ外国人の旅行者が喜んで訪れることが不思議なくらいだった。ブツブツ言いながら、やっと買い物を済ませた私たちは、昼食後すぐ七仙嶺に戻る事にした。帰りは、デコボコ道にも慣れて、いつのまにか車中で眠ってしまった。
 眠りから覚めた時は、もう保亭県の町が見えていた。車の窓を開けると、新鮮な空気が心地よく気分は爽やかだった。やはり都会の空気と違い、田舎は空気が綺麗だとつくづく感じた。
 

海南島で病気になったら


 確かに健康維持にはこの田舎の生活が良いのだろうが、もしも、病気にかかった時は本当に大変だ。医療設備が少ないため、検査をするにも海口市や三亜市まで出掛けなければならない。緊急手術が必要な場合には、下手をすれば死を覚悟しなければならない。いつも私は、その事が気がかりでならなかったが、ここへ来た以上は自分の健康管理には十分注意をして暮らさなければと思っていた。
 ところが、ある時、脇の下の皮膚の毛穴から菌が入って化膿してしまった。慌てて三亜市の病院へ行き診察をしてもらったのだが、外国人という事で、手術を拒否された。大きな病院だったが、その病院の外科医は外国人の手術はいくら簡単でも怖いくてできないと言った。化膿して膿が溜まり大きく膨れ上がってしまい、痛くてどうしようもなかった。結局、飛行機に乗って、大陸の広州市まで行き、広東省人民医院という大病院で手術をした。抜糸をするまで術後の経過観察が必要と言われても、そんない長い時間広州にはいられない。ちょうど運よく、社長が日本から来て戴ける事になったので、外科医でもある社長に診ていただくことにして、海南島に戻った。こんな小さな手術でも広州市まで出掛けなければ処置が出来ない事を、社長は理解ができないようだった。 
 数日後、日本からやって来た社長に、抜糸してもらった。術後の経過は良好だと聞き、安心した私だったが、社長は、
「なんで、こんなに切っちゃったのかなぁ」
と言って、とても不思議そうな顔をされていた。今では、海南島でも医療設備も良くなり、優れた医師も多くなったが、以前は健康問題については不安しかなかった。
 

クリスマスイブ


 この年も、そんな心配を忘れるほど楽しい12月24日のクリスマスイブの夜がやって来た。海口市で買い求めたツリーの豆電球が、ピカピカ綺麗な灯を点して幼い頃の思い出を運んで来てくれた。社員たちもイブの夜は、いつもにない明るい表情で楽しそうだった。この日の夜は、阿浪と彼の友人もプレゼントを持って来てくれたので、一緒にささやかなパーティーを開いた。海南島へ来て一年目のクリスマスは、寂しい思い出だったが、二年目のイブは本当に楽しい思い出となった。
 海南島では雪が降らないので、それだけが残念だが、そんな贅沢なことを考えるほど余裕が出てきた自分に満足だった。
 しかし、この日の楽しかった時間はもう戻ってこない。
 いつの日かバラバラになってしまった七仙嶺の家族が集まって、あの日のように楽しい集いができる日を夢見ている。ホテルが廃業してから、あの時の社員たちは今どうしているのかと気になるが、きっと幸せな人生を歩んでいると信じて、彼らの幸福を祈っている。
 
 

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