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僕がどれだけブラコンかという話

兄の誕生日だった。生きていれば54だった。
僕らは母親が違う。そのせいで兄の立場は本当に複雑だったし僕の母親という人はなんの罪もない兄に憎悪を向けられる人だった。子供ながらに母親の言葉に何度となく傷付いたが僕らは仲が良かった。兄が僕を嫌わずにいてくれたことは僕が真っ直ぐ歩めた理由の一つであった。僕は兄のことが本当に今でも大好きだ。
彼女と結婚をしたときもショックだったが他の誰でもなく兄だったから一生告白はしないと決めたくらいには祝福をした。だからこそ死ぬなんてあんまりだ。こんな酷い仕打ちがあるかよ。僕らの大好きな彼女も泣いていただろうが。僕だって泣いたよ。家族の中で誰よりも尊敬していたし愛していたんだ。僕はいつだって兄のようになりたかった。
兄が医師でなかったら母親になんて言われようとならなかったかもしれない。兄が音楽をしていたら僕も今頃ギターを掻き鳴らしていたかもしれない。兄が蕎麦打ちでも始めたら僕は岡もちを持ってカブに乗り出前をしていたかもしれない。そのくらい背中を追い続けたんだ。言っておくが兄への愛情なら彼女にだって負けない自信がある。
だから何度だって言う。死ぬなんてあんまりだ。

写真は一緒に酒を飲んだ日。フック船長の変な布バッグで現れて笑ったら「俺フック船長好きなんだよね」と答えていた。この布バッグ今使ってるよ。

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