第四十六話:例え、幾歳巡ろうとも
奎星楼の五階。様々な種族や動植物の標本が並んでいる中の中央にあるステンレス製の台に遺体を運んだ。
時折、強い消毒液や洗浄剤の匂いが漂ってくる。
空枝空間から出てきた学者たちは、すでにこの部屋の中にあるものだけで興奮しているようだ。
「まず、切開する前に、このご遺体についている様々な微粒子の採取を行います。次に呪術、透写で骨や内臓の状態を確認し、それから切り開きます」
「もし、体内に遺物がある場合はどうするんですか?」
「それを傷つけないよう、切開の方法を考えなければなりません」
「我々におまかせください。専門家ですので」
学者たちは興奮しているが所作はいたって冷静だ。
わたしたちはおとなしく任せることにした。
作業が始まって一時間ほど経った頃、透写で遺物のようなものを見つけたと報告があった。
「なんだろうね、これ」
竜胆が興味深そうに写真を見つめている。
「この映り方からして、宝石みたいだな」
胡仙は何枚も撮られた写真の中から遺物が一番大きく映っているものを眺め、その輪郭をなぞった。
「割れているようにも見えるが……」
「最優先で取り出してみましょう」
二時間後、取り出したという報告にそれを見に行くと、わたしも竜胆も目を見合わせて驚いた。
胡仙だけが何かひっかかっているのか、注意深くそれを見つめている。
「これは……」
遺体から取り出されたそれは、美しい月長石で出来た玉札の下半分だった。
「名前が彫られていますね……。『翠』と『雨』、かな?」
「翠雨……。まさか!」
胡仙と考古学者は目配せし、歴史書を片っ端から開いて回った。
「ありました!」
考古学者が持ってきたのは、古い名簿だった。
胡仙はそれを受け取ると、優しく表紙を撫で、言った。
「これには遺体が見つかっていない王家の人々の名前が書かれている。発掘調査で見つかるたびに名前を消していくのだが……。調査があるたびに、王家側から何度も訊ねられる名前がある。それほどに、彼女は愛されていたのだ」
パラパラとめくられるページの中、胡仙の手が止まった。
そしてある姫の名を指し示した。
「戦神月彩皇帝第三公主、将軍、翠雨」
わたしは全身に鳥肌が立ち、指先が震えるのを感じた。
その伝説ならば、わたしも聞いたことがある。
「確か、月彩皇帝には無敗の将軍がいたと聞いたことがあります。銀色の髪をなびかせ戦う、女神のような将軍が……」
「そう。それが翠雨だ。妾も手合わせしたことがある。まさに文武両道才色兼備。慈悲深く、この世で一番強いものが『愛』だと本気で信じ、そのために戦っている美しい人だった……。まさか、まさかあのような場所で眠っていようとは……」
胡仙の目に涙が浮かび、光るものがそっと流れた。
「会いたかったぞ、永遠の友よ。何百年も、何千年も、そなたを探しておった……」
震える声で何度も名前を呼んでいる。それほどに、大切なひとだったのだろう。
「でも、なぜ屍来族の格好で埋葬を……」
「それはきっと、この玉札と翼禮の内なる力が教えてくれるだろう」
胡仙がわたしに玉札を渡した瞬間、胸から棘薔薇があふれ出した。
「え、ちょ、ああ!」
棘薔薇はうねり、やがて人型へと形成され、その姿が現れた。
豊かな銀髪が、窓から入って来た風でふわりと揺れた。
「翠雨!」
「胡仙か。久しいな」
現れたのは、白衣の甲冑を身にまとった麗人。翠雨将軍だった。
「何故、何故わたしに使いを寄こさなかったのだ! どうして一人で死んでしまったのだ!」
堰を切ったようにあふれ出す涙をぬぐいもせず、胡仙は翠雨に駆け寄った。
「泣くな、友よ。仕方なかったのだ。無敗と恐れられたわたしも、最後の最期で無茶をしてな……。愛する者を救うためには、ああするしかなかったのだ」
『愛する者』という言葉に、胡仙は思い当たる人物がいるのか、小さくうなずいた。
「……影武者か」
胡仙の言葉に、照れたような、少し悲しいような顔で、翠雨は微笑んだ。
「ああ、そうだ。わたしは、本来ならば切り捨てなければならぬ自身の影武者を、愛してしまったのだ。人質に取られた彼女を、見捨てることなどできなかった」
悲しそうに微笑む姿すら美しい。
視線が合う。
「君は……、あの魔女族の女性によく似ているな。わたしの愛する女性を助けてくれた、あのひとに……」
「わたしの名は杏守 翼禮と申します。この身には、祖霊の一人である偉大な魔女の血と、その呪が大隔世遺伝によって受け継がれております」
「そうか……。杏守。うん、そうだ。あのひともそう名乗っていた。『結婚して苗字が変わったばかりなの』と、嬉しそうに微笑みながら」
驚いた。自分の棘薔薇が玉札に反応したこともだが、それ以上に、ご先祖様が華丹の姫と知り合いだったなど、聞いたことが無かったからだ。
「君に流れる血に礼を言う。ありがとう」
「光栄です」
翠雨は優しく微笑むと、胡仙に向き直った。
「私のことを探していたということは……。我が愛しの君はたどり着けなかったんだな、仲間たちのもとに」
「少し、違うんだ」
そう言うと、胡仙はいくつかの歴史書を空に浮かべ、様々なページを開きながら話し始めた。
「そなたの影武者は、暁の魔女と呼ばれた翼禮のご先祖様とともに戦乱の中を進み、王宮にたどり着いていたのだ。そなたが半分に割って渡した玉札を見せ、丁重に扱われた。ただ、自ら影武者だと申告し、そなたを救うために進軍してほしいと上層部へ掛け合った。でも、それは戦国の世においては無理な話……。だから、自分たちの一族を奮い立たせ、戦地に舞い戻ったのだ。屍来族の長の娘として、暁の魔女とともに」
「戦地に……。死んだのか」
「その戦いぶりを評価され、四季族として叙勲。春家の初代家長となったぞ。生涯独身をつらぬき、たくさんの戦争孤児を立派に育て上げた。素晴らしいひとだ」
「生きたのか! 平和な世を、健やかに……。生きてくれたのか……」
涙が流れた。翠雨の目からも、わたしの目からも。
心が叫んでいる。久しい再会に。
護ったぞ、と。貴女の愛する人を、ちゃんと平和な未来へ送り届けたぞ、と。
「戦ってきた甲斐があるというものだ……。愛する人が、未来を生きられたのだから」
「あの……、わたしに流れる血が……、暁の魔女の記憶が……」
――ごめんね。身体、ちょっと借りるわよ。
耳元で聞こえた声は、わたしに似ていた。
腕が勝手に動く。杖を持ち、床に突き立てた。
――棘薔薇に眠る我が記憶よ。その封印を解き放ち、かのひとに真を見せよ。
口が勝手に動いた。
杖から白い花弁が噴き出し、それは空を舞い、一枚の布のように繋がり、部屋を覆った。
――光れ、輝け、煌めけ、舞え。
杖に咲いた大輪の薔薇が光を放ち、部屋を覆った布に投影を始めた。
「ああ! 梓汐!」
翠雨の視線の先に映っていたのは、銀色に染めた髪をなびかせ、漆黒の装束を着て闘う女性の姿だった。
わたしはそのすぐ近くで戦っている女性の姿に釘付けになった。
(あれが……、暁の魔女)
そっくりと言うには照れるほど可愛い顔をしたひとだった。
朱い髪を一つに結び、仙術ではなく魔術を使うその姿は鮮烈。
(強い。今のわたしよりも、遥かに)
梓汐は翠雨の影武者の名に恥じない強さで戦場を駆け抜け、暁の魔女は襲い来る敵を根こそぎ蹂躙していった。
そしてたどり着いた場所に、瀕死の翠雨がほぼ意識のない状態で立っていた。
周囲には敵の亡骸が散乱し、たった一人でここまで戦い抜いたその壮絶さを物語っていた。
梓汐は翠雨に駆け寄り、その身体を抱きしめた。
しかし、それが最期だった。とっくに限界を超えていたのだろう。
翠雨は愛しい人の腕の中でその人生を終えた。
梓汐が泣き叫びながら暁の魔女に叫んでいる。
おそらく、『何とかしてください! どうか、どうか生き返らせて……』と言っているのだろう。
でも、それだけは神でも不可能だ。
技術的に可能でも、一度理を外れた魂を、神々は決して許さない。
暁の魔女は涙を流しながら、翠雨を抱きしめる梓汐を抱きしめた。
二人に追いついてやってきた屍来族の戦士たちも何事か気づき、涙を流した。
そして、周囲に散らばる屍の山を片付け、おもむろに穴を掘り始めた。
木を切り倒し、急ごしらえだが美しい模様を彫入れた棺も作り、その中へと翠雨の亡骸を納めた。
そして、梓汐は翠雨の額に接吻し、言った。
『戦争が終わったら、ちゃんとしたお墓を作りに来るからね』と。
「それが……、あの墳墓だったのか」
胡仙は悲しく微笑みながら言った。
翠雨は映し出される梓汐の姿をずっと目で追っている。
そして自分の額に触れ、そっと涙が頬を伝った。
「きっと、翠雨さんを、愛しい人の遺体を、救いに行く決断をしてくれなかった王族には渡したくなかったんですね。服装も、もし姫の衣装に変えてしまったら、まぐれで掘り出した人に王家へ運ばれてしまうから、黒い装束のままだったのかもしれません」
「そうだと思う。翼禮、私は約束していたのだ。梓汐と結婚すると。そして、王家も何もない、ただ小さな幸せがある場所で二人、暮らしていこうと……」
映像が終わり、花弁は煙のように光の中へと消え去っていった。
「ありがとう、翼禮。そして、その中で生きる暁の魔女よ。私も眠りにつこう。きっと、あの世で梓汐が待っているだろうから。幾歳巡ろうとも、永遠に愛している、かけがえのない人がいるというのは、いいものだな」
棘薔薇が糸のようにほどけ始め、煌めく光となって空へと昇って行った。
「あれ……」
薄紫色のキラキラした何かが、まるで翠雨を迎えに来たように、わたしの瞳の端を通り抜けた。
胸の奥にきゅっと甘い鈍さが走り、鼻の奥がツンとした。
(わたしのことを、暁の魔女だと思ってくれたのかな……)
一陣の風が吹く。
まるで恋人たちの再会を祝福しているように。
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