第三十七話:棘

 兄が放った紫外線で焼け焦げ、溶けていく妖魔もののけたち。
 凶鬼きょうきは恐れ慄き、炭化した手足を引きずりながら山へと逃げていく。
「ありがとう、兄さん」
「ふぅ。頭痛さえなければもっとやるのになぁ」
「いいんだよ。充分」
「そう? お兄ちゃん帰っちゃうよ? いいの? 翼禮よくれい、寂しくない?」
「全然、全く寂しくはないかな」
「……あ、そう。じゃぁ、帰るわ。帰って泣きながら寝るわ」
「変な嘘つくのやめてよね……」
「はぁい」
 今日も兄はふらりとやってきて最高の成果を出して家へと帰っていった。
「お兄さん大丈夫なの?」
「余裕がある状態で帰したんで、大丈夫ですよ」
「余裕がないとどうなるの?」
「鼻血を吹き出して倒れて痙攣して気絶します」
「うわ……」
「さぁ、わたしたちも頑張りましょう」
「もちろんっ!」
 一瞬、音が消えた。
 木の葉が風に揺れる音も、陰陽術師たちや呪術師が戦う声も、何もかも。
 星が消えた。月の灯りは雲に似た瘴気に覆われ、世界は暗闇に包まれた。
「一体、何が……」
 篝火が煌々と地面を照らす。
 橙色だったそれは、強さを増し、やがて青に変わる。
「これは……」
 竜胆の絶望を帯びた声色に、わたしは察するしかなかった。
 やってきたのだ、鬼皇子きこうしが。
 金属製の鈴の音。
 何かを香を焚いているような白い煙に、気持ち悪くなるほどの甘いにおい。
 空間が切り取られたのだろう。
 白い煙が、逃げ場をなくして漂っている。
 空気に溶けて行かない。
 嫌な雰囲気も、消えてくれない。
「俺の弟はどこにいる?」
 ただ声を聴いただけなのに、極彩色の闇が目の前を高速で通り過ぎた。
 黒は様々な色を含んでいるというが、まさに、その声は〈黒〉そのもの。
 竜胆の額に汗が浮かぶ。
「何か御用ですか、第二鬼皇子きこうし殿」
 わたしの声が聞こえたのだろうか。
 酷く不快な甘いにおいが漂う。
 次の瞬間、わたしの頬は血を流していた。
 近くに揺れるのは一枚の木の葉。これで攻撃してきたのか。
「俺は弟に話しかけたんだ。小娘は口をはさむな」
 竜胆の姿が変化していく。
 本来の、禍ツ鬼マガツキの姿へ。
「兄上、私はここです」
 竜胆が告げると、少し離れた場所で蔦が絡まり始めた。
 それは徐々に豪奢な椅子を編み上げると、何者かが座った。
 少し見えたのは、竜胆によく似た美しい顔立ち。その雰囲気は禍々しく、長い白い髪は太い一本の三つ編みに結ばれている。
 頭に生える黒い二本の角は黒曜石のように艶やかに鋭く輝いた。
「帰ってこい」
 青い篝火が照らし出したその顔は、目が離せなくなるほど凄艶だった。
 目元にひかれた紫色の紅が、その肌を余計に白く見せていた。
「嫌です」
 竜胆の声がわずかに震えている。
「殺されたいのか?」
「私が死ねば、兄弟姉きょうだい全員死にますが」
「あはははは。そうだったな。厄介者め」
「何をしにここへ?」
「お前を取り戻しに来たのだ。可愛い弟よ」
「違うでしょう、兄上」
 竜胆の頬が切れ、黒い血が流れ出した。
「そんなにその小娘が大事か」
「ええ。あなたたちよりも、ずっと」
「ではこうしよう。その小娘を殺す」
 竜胆の手の震えが止まった。
「やってみろ。私が兄上を殺す。命を懸けてでも」
 わたしは足が動いていた。棘薔薇いばらが背中を押すように、わたしを走らせた。
「仙術、雪魄氷姿せっぱくひょうし空翔くうかケル」
 刀身だけでなく、氷の梅花はわたしの周囲で氷嵐ひょうらんとなり、攻撃を援護してくれた。
 刃が第二鬼皇子きこうしの喉元に届く。
 しかし、簡単に斬れる相手ではなかった。
 蔦が刀身に絡まり、目の前を黒い爪がかすめた。
 あと一瞬避けるのが遅ければ、わたしは視力を失っていたかもしれない。
 蔦を薙ぎ払い、後方宙返りしながら距離をとる。
「名乗れ、小娘」
杏守あんずのもり 翼禮よくれい
杏守あんずのもり……。我が一族の宿敵ではないか。なるほど。先刻、強烈な光を発していたのはお前の兄弟だな」
 第二鬼皇子きこうしは目を細め、口元をゆがめながら笑うと、椅子から立ち上がり、腰に下げた蕨手刀わらびてとうを手にした。
「俺の名は烏羽玉ウバタマ。お前の一族に父親を奪われた可哀そうな禍ツ鬼マガツキだ」
「では、その父親と共に死ね」
 わたしは太刀を手に斬りかかった。
「仙術、迅雷風烈じんらいふうれつ地ヲ穿うがツ」
 いかずちを纏った刃が闇を切り裂いていく。
 空気に電撃が走る。
 身体から出る棘薔薇いばらも電流を帯び、烏羽玉に襲い掛かる。
「なかなかやるな。さすがは仙術師の一族だ」
 烏羽玉の頬から黒い血が流れた。
 わたしは液化薬の効果が切れ、頬からは白い煙が細く出始めた。
「くくくくく……。そんな子供だましの薬で人間のふりをしているとは。滑稽だな、仙子せんし族は」
「黙れ」
 わたしは相手の刃を受け流しながら、一太刀浴びせる機会を窺う。
「仙術、星火燎原せいかりょうげん光ハ燃ユル」
 太刀がすさまじい光を放ち、その刃は高熱に湯気を上げている。
「技の種類が多いな。感心した。だが、弱い」
 刃と刃がかち合い、激しい火花が散る。
 下に滑り込むように足を延ばし、斬り上げる。
 しかし、弾かれ、逆に刀を強い力で跳ね上げられてしまう。
 体勢を崩す前に後方に飛び退き、着地した勢いで、近づいてきた烏羽玉に、袈裟に斬り降ろす。
 避けられた。
 布の多い服を着ている割に、動きが俊敏で軽やかだ。
「いいか、翼禮よくれい。お前は赫界かくかいの優秀な戦士だ。この場で消すには惜しい。どうだ、俺のものにならないか」
「断る」
 竜胆の鼓動がひどく乱れているのを感じる。
 わたしに矢を放とうとする凶鬼きょうきたちをたった一人で蹴散らしている。
 不安なのだろう。わたしが負けるかもしれないこの状況が。
 わたしは刀を青龍偃月刀に変化させ、再び唱えた。
「仙術、雪魄氷姿せっぱくひょうし空翔くうかケル」
 わたしの顔よりもだいぶ大きな刃に氷の梅花が浮かぶ。
「ずいぶんと大きな武器だな。そのような小さな身体で使いこなせるのか? すぐにでもひねりつぶせそうだが」
 柄の先で地面を突く。
 その衝撃でくうへと浮かぶと、身体をひねり、回転する勢いで刃をふるった。
 ぽとりと、地面に何か落ちた。
 白いものがふわりと広がり、その中心に立つ男は目を丸くして驚いている。
「ほう、俺の髪を斬り落とすとは。いいぞ、翼禮よくれい。ますます欲しい」
 蕨手刀が目の前に迫り、もう少しで腕を掴まれそうになった時、銅鑼の音が聞こえてきた。
「ちっ。ここまでか。また来るぞ、竜胆、翼禮よくれい
 星の光が戻り、月にかかっていた瘴気が嘘のように消え、目の前にいた烏羽玉は姿を消していた。
 空間が、再びつながったのだ。
「……何だったんですかね。殺し損ねました」
「もう! もう! 翼禮よくれい! 無茶しすぎでしょう!」
「あ、竜胆……。姿を変えたほうがいいですよ。みんなが戻ってきそうです」
「え、あ、そ、そうか……」
 赤い髪から黒い髪へ。肩幅も狭く、首も細く。
 肌の色は少し健康的に。唇は桜色。
「どう? 可愛い?」
「はいはい」
「で、聞いてた? 無茶しすぎよ」
「でも、ああするしかなかったので」
「そんな……。はぁ……」
 いつもはわたしが溜息をつくことが多いのに、竜胆は心底心配していたらしく、何度も溜息をつかれてしまった。
「お願いだから、いきなり戦闘を始めたりしないで頂戴。とくに、烏羽玉とはね!」
「わ、わかりましたから、そんなに怒らないでください」
「嫌よ。怒るわ」
「えええ……」
 竜胆は相当怒っているようだ。わたしもなんだか申し訳ない気がしてきた。
「もう無茶はしませんから。ね?」
「……本当よ。本当に、ダメだからね」
「わかりました。今度は共闘しましょう」
「もう! そうじゃないでしょ!」
「ああ、ほら、まだ仕事中ですよ。頑張りましょう」
「話を逸らさないでっ!」
 わたしは竜胆の背を押し、戦場へと向かった。
 
 
 ★☆★☆★
 
 
 翼禮よくれいと竜胆が凶鬼きょうき妖魔もののけと戦っているとき、内裏では珍しい客人に沸いていた。
「兄上! 体調はよろしいのですか?」
 真っ黒な着物に薄灰色の羽織を肩にかけた涼やかな姿。
「陛下。元気そうで何よりでございます。最近、体調が落ち着いておりまして。今日は陛下の顔が見たくて会いに来た次第です」
 日焼け跡が一つもない青白い肌。
「ありがとうございます。おっしゃってくだされば、お迎えに上がりましたのに。……髪を少し切られたのですか?」
 肩にかかるくらいの白い髪をハーフアップにしている。おくれ毛が艶めかしい。
「葦原国の皇帝陛下にそのようなことをさせるわけにはいきません。髪は暑さに耐えかねて少しだけ」
 髪に触れる。本当は刀で斬られたのだ。整えた毛先はさらさらと夜風に流れている。
「そんな、水臭い。ささ、お掛けになってください。髪、お似合いですよ」
 甘い、におい。
「ありがとうございます」
 主上おかみは満面の笑みで久々の再会を喜んだ。
 兄上、と呼ばれた人物は、普段は療養のために、別荘でわずかな使用人たちと暮らしている。
「陛下、呪物博物館は進んでいらっしゃるのですか?」
「ええ、もちろん。今度、設計図が上がってくる予定です。兄上も是非見てみてください」
「それは楽しみです」
 魅力的な声。落ち着いた雰囲気。時折見せる笑顔は凄艶。
「いつまでこちらに滞在できるのですか?」
「明日の朝にはまた別荘に戻らねばなりません」
「そんな! 医者なら内裏にも……」
「やはり、いつも診てくれている人がいいのです。申し訳ありません、陛下」
「そうですか……。また、お越しくださいますよね?」
「もちろん。それに……」
 人々の賑わいがこだまする空を見つめ、彼は微笑んだ。
みやこに欲しいものがありますので、何度か通うことになるでしょう」
「欲しいもの、ですか? 私にお手伝いできることがあれば何でもお申し付けください」
「いえ、陛下。こればかりは、自分の力で手に入れねば、意味がないのです。お心遣い、痛み入ります」
 彼は主上おかみに優しく笑いかけると、頬にあたる夜風を楽しむように庭を眺め、青々とした葉をつけている梅の木を眺めた。
 それはまるで、凍った花が見られないかと、恋焦がれるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?