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映画感想007『バビロン』デイミアンチャゼルは映画に愛されてないのでは⁉️ ※ネタバレあり

バビロンを観た。
3時間の長ものである。
私としては「映画は長ければ長いほど面白い派」に所属しているので、バビロン最高‼️となるはずだったのだが、残念ながらそうはならなかった。。

なぜだろう。。

今回はこの問いに答えていきたいと思う。

そもそも、デイミアンチャゼル監督の作品群でいうと、
初長編の「セッション」。
これは、本当に最高だった。
主役のマイルズテラーも先生役のJKシモンズも、いい意味で狂っていて、映画の推進力はドゥーンドゥーン!っと前に上に進んでいく。
ジャズというものがそもそも、その時その瞬間にしか起きない奇跡に近いものを作り上げる音楽だと思うのだが、その瞬間性がめっちゃくちゃ描かれている作品だと思う。
もうあの瞬間だけは2人は最高で、頂上を一瞬だけ見えた気がするという刹那的な感じが最高に面白い映画だった。

そんな中のララランド。
これは本当に乗れなかった💦
ジャズピアニストのライアン・ゴズリングは古き良きジャズを愛している。。ということになっているが、どこか浅い。
もうめちゃくちゃ表面の柔らかい部分だけ小ちゃいスコップで掘って、ふぉーー!って叫んでる感じ。
もう本当はこいつむしろジャズ嫌いなんじゃない?と思うぐらいだ。

そして、女優を夢見るエマストーン。。
こいつは最悪だった。
女優としての努力しているシーンはゼロ。
売れるためにパーティーに行き、バイト先に迷惑かけるのもお構いなしにオーディションに行く。
正直、こいつにどんな素晴らしい演技力があるかどうかは関係なく、ひたすらに売れる為に政治力を発揮するのみ。
そして、上手くもない2人の歌とダンスを見せられる。。。

ミュージカル映画は本当に上手い歌と踊りがストーリーと合致してるから面白いのだと思う


全く2人に感情移入できないまま、ラストの運命を悲観的にみせられても、、なんなんだろう。
としか思えない。
いや、これはあの映画のオマージュで、、
という言葉が一杯聞こえてくる映画ではあるが、ただ頭で考えただけのテクニックはイコール感動とはならない!
という反論に溢れた映画であった💦

これもワンカット風に撮られてるから、すごい!と言われてるけど、そこまで良くはない💦良くできたCM


ファーストマン、、
これはまあ置いといて😅

今作のバビロンだ!
デイミアンチャゼルのとりあえず、テンションが上がる感じのカメラワークとふぉーー!っと叫んでいる人々が沢山出てくる映画はもうララランドで飽き飽きしているのだが、、
無声映画時代のハリウッドがどんな感じだったのかが観れるというので、楽しみにしていた。

チャップリン!バスターキートン!ハロルドロイド!

と叫びながら見てみたら。。

恐れていたとおり、、
ふぉーーーー!と叫ぶ人々が冒頭から登場しまくり。。

マーゴットロビーは、終始薬中のようにイカれていて疲れる。。
ハーレイクイーンであれば役としてストーリーにハマっているからぶっ飛んだキャラも素晴らしいと思えた。
でも今回は全くこの女優がスターになる女優には見えなかった。
代役で出演した映画で監督の無茶振り通りに、何回も泣けたり、涙を右から一滴、合図が出たらはい!左から一滴。
はい、超絶演技力!

とはならないっしょ。。
確かに凄い技術かもしれんが、総合的な演技力とはいえない気がします。。
なんなら無声映画って涙流す演技よりも、動きや表情で泣いてるを表現していたと思うのだが。
涙のクローズアップって印象にない。。。
(実際にあったのならすんません💦)
彼女が破滅するまで薬中になって、ギャンブルにハマる理由が全く描かれていないので、感情移入する隙はなく。悲惨なラストも1ミリも心にグッとこなかった。。
彼女がのちに、例のピーナッツを平然と毎日もらって〜なんて描写があれば良かったのかしら。
つまり、彼女は登場からずっと気の狂った奴だったし、彼女の人となりとハリウッドの搾取するシステムが合致しての破滅なのだろうけど、やはりその過程が全く描かれていなのは観客に頼り過ぎじゃないか。。

ブラッドピットの役も、描かれ方が微妙だった。。
アル中でめちゃくちゃなんだけど、映画のカメラが回った、その一瞬だけ素晴らしい演技を見せる姿は良かったのだが、、
トーキーの時代になって彼の台詞回しが酷いという表現が良く分からなかった。
だってブラピの声は変じゃないし💦
観客が笑っている、けど僕ら観客は笑えない。。
終始、ブラピは現代の俳優のように現代の演技をしているから、突如出てきた演劇出身の奥さんにとやかく言われようとブラピはいつものブラピなんですが😅といいたくなった。。
そして、ブラピ自身が若い時から現在に至るまで変わらずスターとして君臨しているのもあって、「過去の人」を演じても、そうは見えない。
ゴシップ記者とのグッとくる掛け合いシーンも良かったっちゃー良かったが、やはりブラピが過去の人には見えないせいで、まだまだ全然現役💦
代役で呼ばれた映画でも、主役っぽい奴より全然オーラがあるという😅

そして、メキシコ系のマニー。。
パーティーで倒れた女の子を人目につかずに脱出させたり、撮影に間に合うようにカメラを借りてきたりなど頑張ってのし上がって行くのだが、彼はなぜ映画が好きなんだろうか。。

大いなるものの一部になりたい!

わかる!その気持ちは分かる!
映画に携わっている人たちはきっとその気持ちを抱いて頑張っているのだと思う!

でも、、マニーがその気持ちを抱くぐらい映画が好き!という姿は全く描かれない。
むしろ、マーゴットロビー演じるネリーが好きで振り向いて欲しいなぁ😚というだけなのでは?と思えてしまう。
そんな女の尻を追うのが目的だと恥ずかしいから「映画という大いなるものの〜」なんて言って誤魔化したんちゃう?と思えてしまう。
マニーが映画を見ているシーンはもちろんなく、なんの映画が好きという発言もなく、誰に憧れてこの業界に入ってきたのかなんて全く分からん。
これ、キャラの描き方として失敗してる💦⁉️
そんな彼が映画から逃げて数年後、、
雨に唄えばをたまたま見る
そこにはかつてサイレントからトーキーへと変わる時代が描かれていて、自身が身を置いたハリウッドの世界が走馬灯の様に呼び起こされる。
そして、彼がいつか見るであろう映画の歴史を変えていく作品のイメージまでも目の当たりにし、映画の過去、現在、未来を一瞬の内に見ることになりマニーは涙する。。。

このラスト。
いろいろと賛否両論あるみたいですが、
まずは見ている映画が雨に唄えば。
雨に唄えばが大好きなんですよーという監督の声が聞こえんではないが、エピソードも描くことも雨に唄えばのまんま過ぎて、よく恥ずかしくないな😅という感想がひとつ。
そして、引用の仕方もなんだか気が利いてなく、映画の色々な演出意図がパッと理解させるような引用でもなく。。
みんな大好き雨に唄えばを僕も好きなんですーと言われても💦という次第。

そしてそして、未来の映画として沢山出てくる映像の数々。
これも権利問題などで使えるカットが限定されてしまったらしいが、まずなんでこの映画😅⁉️
映画の技術革新をした映画の数々らしいけど、だからなんなの?と言いたくなる。
この映画でなくてはならない感じが1ミリも感じなかった。ただ、わーあの映画だ!この映画だ!にしかならない雰囲気引用はただひたすらに腹立たしい。。
その未来の映画をマニーは垣間見たからなんなのか。。
彼が見る必要性も見る権利も、大いなるものの一部になれる要素は全くないのである。

まとめていくと、デイミアンチャゼル監督は何がこの映画でやりたかったのか?
サイレント映画時代の讃歌?
狂乱の時代を描きたかった?
オレ版雨に唄えば?

監督はサイレント映画がとにかく好きだったのか?
おそらく、全然好きじゃないと思う。
まず劇中映画が全くサイレント映画ぽくない。
現代の映画の撮り方で単にモノクロ無声にしただけ💦
当時の撮影方法、撮影状況などを徹底的に調べた上のようにも思えず、ちょちょいと助監督が調べたことを参考に脚本書いた雰囲気がぷんぷんするのだ。

狂乱の時代を描きたかったのか?
だとしたら、めちゃくちゃ中途半端だった💦
冒頭の狂乱のパーティーも、なんだがとてつもなくミニマム😅

既視感しかないパーティー描写、独自性なし、そしてど派手なパーティーなはずが、ミニマムでこじんまり


ウンコ、おしっこ、セックス、ドラッグ、裸!
いっぱい出せばいいでしょ感しか感じない。
おそらく、デイミアンはそんなに、下世話なものが好きじゃないんじゃないのか😅
ゲロのシーンもなんとも中途半端。。
ネズミを食べるムキムキ男も、さーらーに?
と聞いて見たら、、
あっ終わりです。。
みたいな感じで終わる。
蛇との対決も、だから?と言いたくなる、ただのわーきゃーシーンだった。。

沢山の映画をオマージュして、当時の俳優や業界人も参考にしたのだろうけど、、
とにもかくにも中途半端。。
この映画の批評や感想に
「監督の映画愛〜」
「映画愛に溢れた〜」
とよく目にするが、、
いったいこの映画のどこに映画愛がえるのだろうか?
たんに#サイレント映画、#雨に唄えば
みたいにファッション的に引用しているだけで、デイミアンさんは映画本当に好きなんすかねぇ?
と聞きたくなる。。
若くしてアカデミー賞を取ってしまったばっかりに、ハリウッドの歴史を描けると過信してしまったのか。。
サイレント時代のめちゃくちゃさだけを描けば良かったのかも。。
主人公をマニーだけにすれば良かったのかも。。
無理して下世話に描かなければ良かったのかも。

とはいえ、デイミアンチャゼルは映画愛もない、ただキャッチーなララランドみたいなファッション的な映画を撮ればいいのだと思う。

彼がどんなに、映画愛を語ろうと、
映画を沢山引用しても、、映画ファンには愛されない。。
映画の奇跡は起きないのである。

タランティーノには映画愛を感じる。
そして、どの作品にも映画の奇跡を感じ、タランティーノ映画らしさを感じる。

ジョンウォーターズだって、また違った映画愛に溢れているし、どの作品にもウォーターズらしいミラクルが起きている。

デイミアンチャゼルがどんなに声高に映画愛を叫ぼうとも、奇跡は起きない。。
なぜなのか?
映画は真実の愛を見抜いているのかも。
デイミアンチャゼルはけして映画から愛されていないのだ。

そして、現代において最も映画から愛されている映画監督。
スピルバーグの新作「フェイブルマンズ」こそ、本当に映画愛に溢れた映画だと思う。
バビロンをみて
「映画愛に溢れた〜」みたいな感想を言った方々。。
是非、フェイブルマンズを見て、映画愛とはなんなのかを確認して欲しい。
そして、雨に唄えばを見てなぜか泣くマニーに感動した気になった方々は、サムメンデスのエンパイアオブライトを見て欲しい。
むしろ、いい映画はみんな映画愛に溢れた人たちが作っている。
映画の歴史がみたいならモリコーネのドキュメンタリーを見て欲しい。

スピルバーグの自伝的作品 フェイブルマンズ


映画館を舞台にした、サムメンデス監督作品
エンパイアオブライト


映画感想006 を読んでね‼️


ちょっとあえて、キツイ言い方をすれば、デイミアンチャゼルごときが映画の歴史を語って言い訳がないのだ。。
これは企画から間違っていたのかもしれない。

最後に柳下毅一郎さんの映画評を引用したい。

以下引用
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アンガーは黄金期ハリウッドで秘されたゴシップをこれでもかと暴露してみせる。だが、それはもちろん無声映画の壮大なる輝き、映画草創期の神々への崇敬があってこその行為である。チャゼルにその心があるだろうか? 残念ながら象の糞から映画を始めずにはいられないチャゼルには、涜神(とくしん)はできても神殿を建てることはできない、と言わざるを得ない。ジーン・ケリーの酒脱(しゃだつ)もなく、映画史の講義など百年早かろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とはいえ、3時間の上映時間は
あっという間に感じるし
満足感はそれなりにある。
けどそれも、中身のない
ダイジェストみたいな作品だから
飽きずに見れたのかも。。
批判ばっかりでゴメンなさいーー😭
でもまた次回作は見に行ってしまうのだと思う。
今度はセッションみたいに、超個人的で、狭ーい世界を描いた作品をやって下さい!
楽しみにしてます‼️

おわり



↑ ↑ ↑
投稿してからしばらく経って読み返したが
こんなにも偉そうに言ってる奴は誰だ???
立場が無いからこそ言える戯言だと思って読んで頂ければ幸いです。

デイミアンチャゼルは天才です!
それが言いたかったのです!
『セッション』は本当に大好きです。
完璧だ!と思えるぐらい最初からラストまで
興奮しっぱなしで、どこを切り取っても巻き戻して見返したいと
思うぐらい大好きなシーン満載の映画です。

だからこそ、大ぶろしきを広げるような映画を
撮ってほしくない。
それが言いたかったのです。
もうミュージカルとか、やらないでね。。。。

追記おわり

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