見返りを求めない生き方を考える
こんにちは!
早いものでもう、3月も後半戦。皆様、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、「見返りを求めない生き方」について考えてみようと思います。
少し前にわたしが出会った、ある1人のおばあさんとのエピソードをベースに、つらつらと綴ってみます◎
1.そうだ、田舎に行こう。
昨年の年末。介護の末、大好きだった祖父を天国へと見送りました。
享年92歳。祖母が亡くなってから9年。自分自身も10年以上も癌を抱えながら、亡くなるほんの直前までなんでも1人でやってのける、本当に強い祖父でした。
そんな祖父から生前、「おばあちゃんの田舎の竹林の竹が、倒れそうになってご近所に迷惑をかけているらしい」という話を聞いていました。
「見に行かなくては」と思いながらも、中々祖父の側を離れるわけにもいかず先送りにしていましたが、四十九日が終わったタイミングで。胸にぽっかりあいた穴を埋めるように、母と祖母の田舎の竹林に行ってみることにしました。
祖母の田舎は、わたしの家から高速道路で1時間ほど車を走らせた山の中にある、いわば「こんなところにポツンと一軒家」なみの「超・田舎」なのです…。(笑)
わたしも幼い頃は年に1度、「たけのこ」が出る季節に祖父母と一緒に訪れていましたが、かなり昔のことなので、記憶は少し曖昧です。
カーナビに住所を入力し、出てきた場所の山の中具合に驚きつつ…。(笑)そういえば、子供の頃に訪れた時も携帯の電波が届かない場所だったな、なんて思い出しながら。わたしと母は車を走らせました。
2.ある1人のおばあさん。
山道の中、いくつもの集落を通り越した最果てに祖母の田舎の集落はひっそりと佇んでいました。
人っ子ひとりいない。家も数軒しか建っていない。
記憶をたぐり寄せながら、わたしと母は祖母の家が建っていた跡地の竹林に辿り着きました。
「そうそう、この辺でたけのこ掘らせてもらってたよねえ。」
そんな思い出話をしていると、近隣の家に人影を見つけました。
山奥の数軒しか家がない集落です。外部から人がやってきたら、不審に思って当然。わたしと母は、人影があった家に声をかけてみることにしました。
家の中からは、肌艶血色の良い、ひとりのおばあさんが出てきました。
3.おばあさんと、おばあちゃん。
おばあさんは最初は不審そうな顔をしていましたが、祖母の名前と、わたしたちがその家族であることを伝えると、顔がパッと明るくなりました。
「しげちゃん(祖母)の娘さんと、お孫さんなのね!」
おばあさんは、嬉しそうに話し始めました。
この村にお嫁に来てから、祖母には随分良くしてもらったこと。竹林の場所に家が建っていたけど水害で家が壊れてしまったこと。祖母が結婚して村を出てからも毎年祖父と2人で村を訪れていてくれたこと。村に残っている家はほとんど空き家だということ。夜になると鹿やイノシシが出て畑を荒らしてしまうこと。祖母が亡くなってからは祖父が毎年電話をかけてきてくれていたこと。
つい先日の祖父の訃報はこの村まで届いておらず、そのことを伝えるとおばあさんはとても悲しそうに祖父との思い出も話してくださいました。
わたしと母は、知らなかった祖父と祖母の話を聞くことができ、胸の中が温かくなるのを感じました。
4.ギブ アンド ギブ。
ひとしきり話を終え、倒れてきそうな竹の場所を教えてもらうことにしました。
「そんなことのためにわざわざ遠くから来たんけ!そんなもん、わたしが倒して雨がふった次の日にここら辺で焼いとくけ、気にせんくっていいんよ。」
確かに竹は天高く伸び、少しこうべを垂れるようにしなっていましたが、今にも倒れてきそうなほどではありませんでした。
よくよく話を聞くと、このおばあさんがいつも竹を管理をしてくださっていたと言うのです。わたしと母はそんなこととは知らず、とても驚きました。
「いいんよいいんよ。わたしは毎日ここにおるし、しげちゃんにもようお世話になったし、ちょっぴし畑も使わせてもらっとるし。そんなことは気にせんくっていいんよ。そんなことより、お孫ちゃんそれ、持っていきん!ナンテン。」
そう言って、竹林の中に生えていた野生のナンテンに目を奪われていたわたしを見て、家からハサミをとってきてナンテンを切ってくれました。
「せっかく遠くから来てくれたんやし、これも持っていき。しげちゃん亡くなってからもう、たーんとたつやろ。しげちゃんには世話になったでさ。久しぶりに話ができて嬉しかった。」
そう言って、自分の畑から里芋や白菜、大根を手慣れた様子で収穫し、袋に入れてわたしと母に渡しました。
「こんなもんしかなくてごめんなあ。また、春になったらたけのこ掘りにおいでん!おばさん、ここいらの竹管理しとくでさ。4月の下旬くらいかね。来る1週間くらい前に電話くれたら、いい芽、潰さずに残しとくでよ。」
5.見返りを求めない生き方。
「おばあちゃん・おじいちゃんがおらんなっても、いつでも来ていいんよ。ここはあんたらの土地やし、いつでも来ていいんやよ。」
おばあさんはそう言って、わたしと母を見送ってくれました。
ほとんど初対面の、わたしたちと、おばあさん。
おばあさんは祖母から頼まれていたわけでもなく、誰に言われるわけでもなく。ずっと放置されていた土地の管理をしてくださっていたというのです。
そして、次にいつ会うかもわからないわたしたちに、たくさんのお野菜やお花のお土産を持たせてくれた。遠いところから来てくれて有り難う、と。
こんな、見返りを求めない生き方をしている人が居るんだな、とわたしはとても驚きました。
同時に、こんな人間でありたいと、強く感動を覚えたのです。
そして、亡くなってからもなお、人の心を繋ぎ止めてくれている祖父母の生き様に、尊敬の思いでいっぱいになりました。
6.最後に。
ヨガでは、「行為の結果に見返りを求めず、奉仕しましょう。」と学びます。
…とはいえ、行為の結果を期待してしまうものが人間。感謝の言葉を期待して良い行いをしたり、親切のお返しにはお礼があって当たり前だと思ったり。
「結果」に執着するその心こそが、ネガティブな心への第一歩になってしまっているのかもしれません。
奉仕というのは、無償の行為を指します。つまり、「結果」に執着せず、「今、ここ」に集中して、行為はただの行為として手放していくのです。
例えば、道で困っている人に声をかけた。体調の悪そうな人を気遣った。
見返りを求めず、こうした行為をただただ積み重ねていくことが、ヨーガの教えであります。
「徳を積む」という言葉がありますが、ヨーガではわたしたちが今、出会う物事全ては、過去に自分がしてきた行いによって作られていると考えています。
その場の見返りなど求めずとも、長い目で見れば、いつか自分にとって良いこととして返ってくるときが来るということなのです。
返ってくるのは、明日なのか、何年後なのか。何十年後なのか、あるいは来世なのか。それは誰にもわかりません。
「いつ返ってくるのか」という見返りを求めず、ただただ自分が正しいと思う良い行いを、続けていけるおばあさんのような人間になりたいものです。
心のヨガ修行は、どこまでも続く…!
最後まで読んでいただき、有り難うございました。
それではまた、次回◎
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