【 食品会社の新製品開発室、の生意気な研究員 】
京都の短大を出て就職したのは、ある食品会社の新商品開発部。
部署の上司は、業界の味覚、と言われた卓越した味覚の持ち主の食べ物博士で、世の板前以上に、料理の腕も素晴らしいお方でした。
プロでも滅多に知らない料理法など、色々と教えていただきました。
一つあげると、
小豆を煮る時には、お鍋に竹の皮を入れると、小豆特有のアクが抜けて、京都の老舗和菓子屋の餡に仕上がる、など。
味覚が鋭く、料理もする父と、同じ切り口で食の話が出来る人に出会ったのは、初めてでした。
部署で積み立てたお金で、上司オススメのお店に皆で食事に行くのも楽しみでしたが、そのどこでも、
「今日は○○さんが来られる。って、朝から粗相がないようにとヒヤヒヤしてます」
と、大将は皆、恐縮と緊張されていました。
それから、パッケージ部署の同期女子と、一度、上司宅にカレーをご馳走になりに遊びに行かせてもらったことがありました。
芸大卒の、味覚も繊細で鋭い同期女子が、どうしても、上司が作ったカレーを食べてみたい!とリクエストしたのです。
1週間かけて煮込みましたよ~
と、頂いたカレーたるや。。
えっこの牛肉はダイ○ーの、グラム49円の輸入ですか?
カレー粉は、S○Bの缶のやつだけですか??
その同期女子と数年前に、20数年ぶりに再会し、これまでに食べた中で一番美味しかったカレーは?
と問い合うと、2人とも、
「あのカレーに決まってるやん」
と、迷いなく意見が合うほどの、上司は、自他共に認める食の天才でした。
30年近く前の、新商品決定の二択の試食で、その上司と意見が割れ、お互い全く譲らずの修羅場…
「こちらに決まらないなら私は会社を辞めます。」
とまで断言して発売の決まった商品を、今もスーパーで見かけます。
本当にありがたく感謝しています。
今ここで優先する事は何か。
それに沿ってクソ正直に、自分の立場は横に置いて意見を言ってしまうのが私の本質。
不器用でもそれが私だから、しょうがない。
若い頃は、生意気と言われることも多々ありました。
商品レシピの二択。
どっちに決まっても半年ほどの商品寿命なら、引下がりますが、
「会社の売上げのためにはこっちしかない!」
と、直感が降りてきてしまったので、どうしても曲げられず、
今ここでの最優先事項は、会社の売上に貢献できる商品を発売すること。
であって、業界の味覚人のプライドへの気遣いや、自分の失職危機は二の次になり押し通す形になり、、
発売後ほどなく、私の工場配属の話が上がり、その年度末で、私は退職する事になりました。
「あんな生意気なのいらんで。」
と、上司が人事部長と話しているのが聞こえました。
当時は色んな方面からショックでしたが、その15年後に住んだ、仙台のダイ○ーにもその商品が並んでいるのを見て、見ず知らずのたくさんの方々に応援頂いているようで元気をいただき、感謝しています。
昨日行った、神戸市内のスーパーにも置いて下さっていました。
たしか、発売から28年くらい経ったのだと思います。
会社をやめることまで引き合いに出して、私の意見をゴリ推しした結果、まさか本当に退社することになってしまいましたが、
正直なところ、上司のもとで、もっと色々と教えて頂きたかったです。
取引先にも好きに意見や要望させて頂けて(上司に影でフォローなど頂いていたかもしれません)、商品開発の仕事自体も楽しかったので、もう少し続けたかった気持ちはありました。
とはいえ、会社から、新商品開発部員としては雇えない判定が出たので、
ならばまずは管理栄養士の資格を取って、一度、栄養士として働いてみよう、と、管理栄養士の資格を取り、その後、阪神大震災を経て、病院勤務できました。
これも私にとって必要な経験でしたから、ありがたく良かったなと思います。
会社をあのタイミングで辞めてなかったら、管理栄養士を取れていなかったかもしれません。
その栄養士業界も、1年半ほどの短期間で、私には向いていない判定を自分で下して、その後、フラメンコにハマったりしていくのですが笑
そのフラメンコで、仙台とのご縁ができ、その10年後には、娘が勉強とインターン中の建築に興味を持つきっかけになった、仙台市立図書館の近くに住むことになったり。
後から振り返っての、人生の数珠が様々につながれていった模様が、また私ならではで面白く、
人生にムダなことは何一つないことに、今日も全てに感謝です☀️
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