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自分との関係、他者との関係、社会との関係。

自分の良さを知るためには、社会という舞台、その中で自分が持っている良さ(強み)を使って何ができるのか?ここを本人がわかっていることがとても大切なのです。

僕は絵を描くのが嫌いなんだ!

そんな事を小学3年生の男の子が言ってたことがあります。
そんな彼ですが、お母さんによると、彼は元々は絵を描くことが好きだったのだそう。

何故、絵を描くことが嫌いになってしまったのか?

彼の絵は何かで賞を貰ったこともあったのです。
その時に、お母さんが「凄いね、頑張ったね」と言ったら、彼はボソリと「あれは僕が描いた絵じゃないんだ」と、言ったのだそう。

元々彼が描いた絵を先生が修正をどんどん加えてしまったのだそう。その結果、彼にとっては「自分の描いた絵じゃない!」と、なったのです。

自分が描いたと思えない絵が賞を貰ったとしたら?

この時、もし自分だったらどう感じるだろうか?考えてみました。

修正されたとしても原画は自分のアイデアだから良いじゃないか!

自分の名前で賞をもらえたのは事実なんだからそれで良いじゃないか!

大人はそんな事を考えがちです。でも、彼が言ってることは何なのか?それは、

結果よりもプロセスを大事にしたい

ということなのではないでしょうか?

親とか大人はとかく、結果を急ぎがちです。(せっかちな私はいつもそう!)
「結果よければ全てよし」なんてことばもあることだし。

と、なりがちです。

これは、私の世代、高度成長期を生きてきた大人たちの思考の弊害だと感じます。

生産性と効率だけを追いかけた、大量生産大量消費の時代。、世界に追いつき世界を追い越す事に価値があった時代の思考なのです。

個を大事にしない社会が忘れたもの

個よりも全体を大切にした社会。
個を出す事はワガママだと言われた時代。
そんな時代を生きた大人が受けた教育は他者との比較であり、数値化(結果)を大切にした時代なのです。

一人一人の違いから起きる価値ではなく、他者との比較による競争から生まれる評価なのです。

世界にたった一つしかない絵と、周りの評価を気にして描いた絵。どちらに価値があるのだろう?

奄美には孤高の画家と呼ばれた田中一村がいました。
田中一村は、幼少期には、神童と呼ばれた東山画伯と肩を並べていたほどの天才画家だった。

田中一村は日本画の世界が嫌になり、千葉県から流れ流れて奄美に辿り着き、ピカソのキュビズムという画法を用いて、独自の素晴らしい世界観を築きあげたのです。

田中一村の絵
亡くなった後に出てきた素晴らしい作品が奄美の美術館で見れます。

「売れる絵ではなく自分が描きたい絵を描く!」晩年の田中一村の言葉です。

奄美での彼はとても幸せだっに違いないと思うのです。

幸せって何だろう?

ママが知らないと子どもが損する?
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