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なぜ無駄な情報に時間を奪われなくてはならないのか?

情報中毒という言葉があるかは知らないけど、あるとすれば僕は情報中毒者だ。つねに何かしら脳に情報が入って来ないと落ち着かないのである。

また情報といっても資格情報とかではなく、いわゆる知識である。脳内に知識が流入してこないと、時間を無駄にしている気がしてソワソワしてしまうのだ。

情報を仕入れないときは、寝ている時と考え事をしているときくらい。どんなに疲れていても、活動している間はスマホや本で知識を得ている。

僕は講義やセミナーが苦手だ。これらは情報量が少なすぎるのである。動画でまとめれば30分で終わるようなものに、90分もかけていたりする。その動画だって、1倍再生では疲れてくるので、たいがい倍速再生で集中力を保てるようにしている。

それからメールや資料においても、本題に入るまでが長くて読みたくなくなるし、重要ポイントがまとまってないので嫌気がさしてくる。最近、A3用紙1枚に整理するという手法が広まっていて、僕はいい流れだと思う。実際、パワポを作る時間は、削れるなら削った方がいい。

なぜ無駄な情報に時間を奪われなくてはならないのか。

これからの時代、情報量は格段に増え、取捨選択の重要性が増す。そして、より処理速度を増して行かなくてはないだろう。しかし従来の考え方のままでは対応できなくなってくる。やり取りに電話なんて、非効率なことできなくなる。

だから生産者側は、消費者の時間と負担を最小限、最適化したサービスを提供しなくてはならないと感じている。

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