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笑かすより笑い合う

僕は友だちができない。性格が悪いとかどういうんじゃなくて、どうにも人と打ち解けるのが苦手なのである。

小学生のときは良かった。相手の顔色を窺うアンテナが備わってなかったから、好き放題していた。

そもそも僕は芸人になりたかった。テレビの芸人さんはお客さんを楽しませ、笑顔にしていてカッコよく見えた。僕もそうなりたくて、学校では“笑かし担当”をしていた。おそらくクラスに1人はいたと思うけど、僕がそれだった。

くだらないことをして、クラス中を笑わして、たまに失敗して恥をかく。そのときは、それが楽しかった。

しかし中学に上がってすぐ、それができなくなった。羞恥心が芽生えたからだ。今までは授業中でもギャグを行って盛り上げていたのが(今考えれば迷惑な話だ)、そんな低俗なこと人様の前でできるはずがない、と思うようになったのである。

まあ、やらなくなったところで困ることはない。そう思っていたのだが、今まではクラスの中心にいたので気づかなかったが、僕は友だちが少なかった。ほんの小さなコミュニティに落ち着いて隠れるように暮らしていたから、目立つこともなく、友だちができることもなかった。

さらに重症だったのが、人前で話す訓練ばかりしていたので、日常会話がきわめて下手くそだったのだ。いわゆるコミュ障である。人に話しかけているときはいいが、人の話を聞くこと、人の話に相槌を打つことが本当にできなかったのだ。

しばらく「まあいいや」とこの性質を直そうとはしなかった。その甲斐あってか、高校生の間は友だち0にのボッチで過ごすことができた。この期間を僕はサナギ期と呼んでいる。

僕の失敗は、人を笑わそうとしてばかりいたことだ。しかしコミュニケーションにおいて重要なのは、人を笑わせることではなく、一緒に笑い合うことだった。そのことに気づいてからは、気負う必要もなくなったのでラクになった。

たしかに笑わせる瞬間は楽しい。しかし芸人ではない僕たちは、笑わせるより笑い合う瞬間の方が楽しいし、親密度も上がるのだ。


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