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子ども嫌いの僕が、なぜ子ども好きに変わったのか?

子どもなんて嫌いだった。うるさいし、うざいし、何をしていのかわからない。せめて言葉が通じればと思うが、やつらは同じ人間と思えないほどコミュニケーションがとれない。もともとの僕は、そんな風に考えていた。

そもそも僕は末っ子だ。周りには歳上しかいない(歳上も苦手なのだが)。親戚の集いでも僕は最年少。たまに下の子が来ても、彼らの対応は兄に任せて、自分は部屋の奥で引きこもっていた。そんな具合だから、自分より幼い人を扱うのは門外漢であった。

ところが大学生になり、授業の関係で小学生とお菓子を作ることになった。それも3ヶ月、毎週である。しかも担当したのが思春期真っ盛りの女の子ときた。当然のごとく、僕は死んだ。

生粋のコミュ障であるところの僕は、まず小学生に話しかけられなかった。勇気を出して言葉をかけても、無視or「うん」のみで、たやすく心が打ち砕かれる。いくら経っても打ち解けられず、僕は影で先輩に「役立たず」と呼ばれたのだった。

悔しかった。正直、舐めていた。子どもの世話なんて、誰でもできるだろうと思っていた。しかし考えが甘かったようだ。思えば同年代とのコミュニケーションすら覚束ないのに、異世代と上手くできるはずがなかったのだ。

そこでどうしてか、僕はこれを克服しようと考えたのだ。思ったが早い、「ストレスなく子どもと関われるようにする」と目標を立てて動き始めた。

まず学校のボランティアサークルに潜入し、流れている子ども向けイベントのスタッフをやりまくった。行くたびに、今回はなにが良くて何が悪かったのか反省した。コミュニケーションが上手な人を模倣してみたりもした。

すると3ヶ月ほどでストレスなく、子どもと話せるようになった。さらに3ヶ月も経つと、仲良なることもできた。副産物的に、同年代はもとより先輩後輩、社会人や高齢者の方々とも楽しく会話できるようになった。

そのころには僕は子どもが好きになっていた。今までは食わず嫌いならず、知らず嫌いだったのが、知ってみると可愛く感じるようになっていた。ときどき憎たらしい子もいるが、それも愛嬌があれば許すことができた。

子どもも良いもんだなと思うようになっていた。

#エッセイ #コラム #子ども

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