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姉のことなんて、何も知らなかった

2020年、新年は毎年実家で過ごしている。

2019年は犬のこともあって疲労困憊の年だった。年末帰るのをやめようかと思うくらい、疲れていた。

私は、もとがネガティブだが、その原因の一つには姉や家族との関係があったと思っている。特に、私の中では姉との思い出で良いことを思い出すのが難しいくらいだった。

姉二人は年子で、私はそこから数年離れて生まれてきた。そんなこともあり、3人で一緒に遊んだ記憶はほとんどなく、私はいつも一人で家に帰ってきて、一人で習い事に出かけていった。姉たちは、二人で帰ってきて、二人で習い事に行った。

二人で出かける様子を、私は家の窓からのぞき、寂しいなと思って見ていた。(なんて暗い・・・w)今だったら、一緒にいきたい!と喚いてしまえばよかったと思う。でも、嫌われるのが嫌で、私は我慢をしていた。

そんなことを思っていたなんて、家族の他の人たちは知らないだろうが、
私は少なくとも寂しい子供時代を送った。

今年、家族が集まっていつものように宴会をしていたときに、そこにいないもう一人の姉の話題になった。ああだった、こうだったと話題が及んだときに、私は、本当に彼女のことを何も知らなかったなと思った。姉が頑張り屋さんだということだけはなんとなくわかっていたが、姉が小中高と、何をやっていたか、オーディションに落ちた落ちない、なんて話も初めて知った。

思えば、そこにいた姉のことだって、私はほとんど知らない。何の賞を取ったか、何に頑張っていたのか、など。

一人の人間として、姉をみてみたときに、明らかに、親友について知っていることよりも知らないことが多かったことに気がついた。

姉だから、家族だから、一緒の空間にいたから、そんな理由で知った気になっていたが、見事に知らない。聞いても「へー」としか言えない自分がいた。その人の歴史を知らない。心も通わないはずである。家族って不思議。そんな状態でも家族だという気はするのだから。

今までトラウマに感じていた人間関係に、それは仕方ないよ、と少し諦めがつき、対等な人間としてみたときに、改めて姉のことを知る機会がこの先あるのだろうか?いや、それでも知りたいだろうか?と訝しく自分を見つめる。

少ししらけたような気持ちで、過去の悲しい思い出からそろそろ自分を解き放つタイミングなのだろう、と思った。



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