経済学部卒デザイナーが転職までに得た学び⑨恩返しと主従関係
こちらのシリーズも残すところあと2回となりました。
未経験&別業界からデザイナーに転職するまでに得た気づきの話、第9回目は「恩をお返しする」ということについて書きます。
(↑猿たちよ、あと2回、懲りずに出てくれたまえ…)
恩はちゃんと返すもの
誰かに何かをしてもらったら、お返しをする方がほとんどだと思います。
ご近所や家族付き合いなんかでも、お世話になった時は、お菓子を返したり、次のタイミングで同じことをしてあげたり。
きっと皆、誰もが「恩を作ってやる」とは思っていなくて、親切心で良くしてくれています。
だけど、それに対して、どんな形であれお礼をしない、ましてや「ありがとう」の言葉すらないとなれば、高確率で関係性が曇っていきます。
「いや、別に感謝されたいわけじゃないんだけど、、、ねぇ…」というセリフをよく聞くように、レスポンスがなければ違和感が生まれることってあると思います。
日本人は親切だから、”良くされたらお礼に良くしてあげる”がDNAに刻み込まれているのかもしれません。
サラリーマン家庭の私が思うに、お商売をされている家庭出身の方は、恩を受けたら返す、の考え方が息を吸うように当たり前だと思っているような気がします。
考えてみたら、そもそもお商売そのものが、ニーズ対してお金のお返しを受けとる、ですもんねぇ。
恩を返すことで得られるもの
仕事もプライベートも、いつでもきちんと相応のお返しをしていると、何が生まれるかと言うと、信頼関係だと私は思います。
きちんと恩を受けたことを忘れない姿勢は、相手にも届いている。
私が恩を着せた側で相手が誠意を持ってお返ししてくれると、
「あぁいざとなったらこの人に頼ろう」となります。
多分、そういうことなんじゃないでしょうか。(ざっくりかよ)
よこしまな思いはスケスケ
逆に(?)、相手が恩着せがましい時も、なんかわかりますよね。
よこしまな思いがうっすら透けているというか。
恩を着せたその先の期待感が漏れ出ちゃっているというか。
もし、自分が相手にしてしまったとしたら、恐らく相手も同じ様に分かるんだろうなぁって思います。
相手がお困りのときは、純粋に「助ける」という気持ちが自然に生まれると思いますので、”恩”というワードは多分思い浮かばないんじゃないでしょうか。
恩がどうだとか書きまくっていますが、単純に、これからも、人が困っているときはサッと助けられる自分でいたいと思います。
恩返しのつもりが”主従関係”に陥っている時
お世話になった方との付き合いが続いていくと、段々と自分が無理をしながら相手と付き合っているようになります。
私はこのパターンによく陥ります。例えば会社をやめるとき。
「あれだけお世話になったのに、プータローの時代からすくい上げてもらったのに、辞めたいとか言えないよなぁ…」
みたいな。
それが対個人でも同じで、「あれだけお世話になってて」というセリフがいつもよぎります。
恩返しのつもりが、いつの間にか”主従関係”のバランスになってしまいます。
最初は恩返しのつもりで、色々貢献したいと思っているのに、自分自身の価値観の変化があったり、相手に不信を抱いてしまったり、これまで同じ様にwin-winの関係ではいられなくなる時、大体このパターンです。
でも「あれだけお世話になってて」が邪魔してくる。
言おうか…言わまいか…いいや、言おう…あぁ、やっぱり言えない…!
みたいな。
情が深いと言えば聞こえが良いのですが、やっぱり自分が無理している段階で関係は対等ではない。終わり時なんだと思います。(最近はそう思うようにしています。)
それと、これとは、別問題。
本当↑このタイトルの通り、別問題なのですよね。
お世話になったことは、これまで続けてお返しをしてきたはずなので、本当に「情」でしかない。
しかも別に関係性も崩れるわけではないし、仮に崩れたとしたら主従関係と思ってる相手とは遅かれ早かれそれまでなのだ、と思うようにしています。
自分がさらに発展するタイミングを遠慮で逃してはいけない。
これまで何度かターニングポイントをくぐってきた自分としては、そんなふうに思います。
ありがとうございました。
※アイキャッチはplastic_girlさんからお借りしました。ぁぁあ〜、めっちゃかわいい。すずめかわいい。道端や、電線に止まってチュンチュン言っていると、何を話しているんだろうなぁって毎回思います。ありがとうございます。
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