ただの経済学部出身者が、プータローを経てデザイナーになる話(目覚める編)
前回はクリエイティブな世界を知りつつも、自分とは違うな思い続けていた話を書きました。
一度知ってしまった都会を忘れられない
経済学部を出た身としては、お決まりの新卒採用で結果を出さねばならないと思っていたこの頃の私にとって「デザイナー」という響きの仕事は無縁だと思いこんでいました。
「だって、デザインのこと何も勉強してない。」
「デッサンできない。(※美大・芸大を出た者のなれる職と勘違いしていた)」
「パソコンもmacとかでしょ?あたしゃ型落ちのWindowsだよ、とほほ。」
「デザイナーしてる人って前からそのための努力してるから追いつけないわ。」
そんな感じで、クリエイティブの現場に憧れを抱きながらも、打ち消す台詞がいくらでも出てきていました。
せめて配属されたお店の売り場をおしゃれにしてみようともがくことが精一杯のクリエイティブ。なんだかんだ楽しんでいました。
何よりお客さんとおしゃべりして買ってもらえるうえに感謝されるって本当にありがたい環境ですよね。
だけど、井の中の蛙なんだろうなぁ…という気持ちもずっと持っていました。
都会の服屋の店員さんはもっとシュッとしてたし、キラキラ見えて、自分は田舎の服売りを脱したいといつも思っていました。
あのときの、切磋琢磨しながらクリエイティブをしている美容師さんたちや、京都の作家さんや服屋さん、カフェなど都会感あふれる空気が忘れられなかったのです。
(ちなみに、京都が都会と言えば「田舎やろ」と思う人もいると思うんですが、”ビルがある=都会”という方程式を持つ私は、京都ももはや都会なのです。)
そうだ、京都に戻ろう。
そうやってモヤモヤし続けて2年。社会人の具合もざっくりとつかめたことで転職が頭を過りだしました。
服を売り続けるのは30代が限界だろうな、というところは想像がついたし、やはりどこかで「デザイナー」という響きは捨てきれずにいた私。
休日となればネット検索するのが定番になっていくのでした。
そんな折、たまたまつけたテレビが「情熱大陸」。中村勇吾さんというクリエイターが出た回です。
語彙が乏しくて言い表せないのが歯がゆいのですが、デジタルの申し子みたいな感じで、それはもうめちゃくちゃかっこよかったんです!フガフガしながら瞬きを忘れて見入っていました。
あ、Webデザイナーなろ。
これが私の決意の瞬間です。
後付けですが、インターネットさえ繋がっていたら長く続けられる職だと思ったのも理由ですが、このときの情熱大陸が私を後押ししてくれたのは間違いありません。
未だにこのときの興奮を忘れたことはありません。
ありがとう、情熱大陸。
こうして、クリエイティブな刺激をもらった京都へ再び戻るのでした。
勉強に必死のプータローへ
働いたと言ってもいわゆるデスクワークではなかったので、仕事のイメージはできず、引き続きネットで情報収集をすると同時に、とにかくパソコン作業をできるようにしなくてはとソフトを習いにスクールへ通いました。
ちなみに、スクールや引っ越し費用とか暮らしの資金は実家暮らしによって貯金ができた分を切り崩していきました。
後半の数ヶ月はWeb業界でバイトをするとして、だいたい1年くらいはやっていける計算です。
大学まで出してもらった親にはこれ以上頼るのは虫が良すぎる。
↓
自力で1年以内に就職を決めなくては。
↓
どうにもならなければ実家に帰るしかない。
↓
でも自分で言い出しておいてそんなのプライドが許さない。ていうか父親に「ほらみたことか」と言われるに違いない。
↓
うわー、ぜったい嫌ー。就職してやる。
と、こんな感じの思考回路で必死のプータロー生活をスタートさせるのでした。
人は追い込まれるとなんとかなるもんだなぁと、この経験で実感しました。
強気のビビり
こんなこと言って仕事が減ったら困るんですけども、私はテキトウな感じを装っていながら、肝は大変小さい人間です。
心配性だし取り越し苦労派。
だから本格的に動き出す前はシミュレーションをして、そこで確信を得ることで変に強気を取り戻します。
この性格を友人との間では「強気のビビリ」と言っていますが、実は「強気」と「ビビリ」のセットって、動き出すには大事なんじゃないかと最近思っています。
「とりあえず動き出せ!」とよく言います。
確かにそうなんですが、やっぱりあると思うんですよね、もともとの性格が。
私は行動を起こすには遅い方で、それはアレコレとシミュレーションしているからで、「とりあえず」がもうありえへんねんって思います。
(そんな私の場合の踏み出し方があるので、この話はまた別の機会に書こうかなぁ・・・)
そんなこんなで田舎を再び飛び出した私。
長いような短いプータロー生活で、後半は売れない芸人のような生活になります(笑)
次回は「真面目なプータロー生活」編を書こうと思います。
ちなみに部屋を決めるときは、京都に遊びに行くと言って、こっそりとひとりで契約を進めました。
保証人がどうしても必要なので、書類を見せて、「家を出る。保証人になってほしい。」と唐突に伝えたときの父親の表情は今でも忘れません。
一度転職を仄めかしたとき、「デザイナー」という響きだけで「そんなチャラチャラした格好ばかりの仕事などしょーもない」と反対してきた古風な父親に対して、本気度を見せてやりたかったのです。
今でもこの言葉が悔しくて燃料になっています。
同時にあの時の父の表情を思い出すと、絶対私はデザイナーとして成功しなくてはいけないと心に誓うのでした。
※今回のアイキャッチはmasakazuさんのものを拝借しました。犬好きですが、鳥も結構好きなんです。特にスズメとカモ。ありがとうございます。
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