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肺炎 入院レポート



エピローグ

令和六年三月の話。
なにやら体の調子が良くなかった。
熱が出るし、咳も酷い。『高熱』に類される体温になり二十四時間は経過をみる。(インフルエンザ等の検査にそなえて)それにしたってしんどかった。熱のせいか咳のせいか頭もガンガン痛む。


一日目

かかりつけ呼吸器科へ

行くはずだった眼科をキャンセルして呼吸器科へ。
その道中も普段こんなにならないのにと思うくらい息がやたらしんどく、咳もめちゃ出るし、そしたら頭が余計ガンガン……。病院に到着。熱があるため一番奥の、使ってない部屋に入る。過去に肺炎で五回くらいか、この部屋を利用しているので慣れっこになってしまった。
いつも通りインフルエンザとかの検査をして、なにもなかったらレントゲンを撮ってもらい晴れて(?)肺炎の診断がくだされて抗生物質出してもらい飲みきって……それで終わるだろうと思っていたこの時の私。
看護師さんが忙しく行き来して私の指先で血中酸素濃度を測ってくれる。
90だった。
低いなぁとは思ったけれど。いつもの数値は大体95で「ちょっと低いけど、まあいいでしょう」と言われていたから、しんどくても一人ぼんやりと奥部屋でそこかしこを眺めたりしていた。
しばらくして主治医の先生もやってきて酸素の量を見て言った。

「佐野さん、これは病院に行かなあかんわ」
病院に来てるじゃん?ここはなんぞや?熱と咳で疲れた頭で一瞬キョトンとする。

もしかしてと思って「大きい病院ということですか」と質問してみると、そうらしい。急に雲行きが怪しくなってきた。
大きい病院は手配してくれるようなので手が空いたうちにスマホで「酸素 90」と入力し検索してみると思っていたよりやばいみたいだ。呼吸不全、みたいなことが書いてあった。酸素濃度の最低ラインは96で、90になるのは重症……。
受け入れ先の病院が決まったら先生が紹介状を書いてくれてハイ、と渡された。
夫がタクシーアプリでタクシーを呼んでくれた。さすがにこれ以上遠くへは歩けない。実は公共機関で連れていかれそうになったが結核の心配もあるし咳が酷い人間が電車やバスに乗っても迷惑だろうし、私自身がしんどいから歩けないアピールをした。

大きい病院

紹介先の病院の発熱外来のインターホンを押し、係の人が迎えに来てくれるのを待つ。外の風がやけに冷たくて凍えそうだった。後で聞いたらこの時寒かったのは私だけではなかったみたい。
呼吸器科の先生があらかじめ連絡してくれたのでスムーズに処置室へ運ばれる。まずは点滴をしつつ、PCR検査や、採血されたり。
その間ずっと酸素も測っている。PCR検査検査は結果が出るまで二時間ほどかかるため夫とおちびは一旦帰宅となった。この辺の流れは別の病院でおちびが一晩入院したことがあったので体験済み。その時はおちびを見守るだけの立場だったし当事者になったのは初めてだけれど。

処置室にて

採尿してくださいと看護師さんに言われ「ちょうどトイレ行きたいし」と思ってたから丁度よかった。車椅子で行こうかと言われたけど身体は普通に動きそうだったから自分で点滴の棒を持ってトイレへ。
車椅子を辞退したが看護師さんの歩くスピードが早くて少し小走りになる。もしかして車椅子に乗った方が看護師さんの迷惑にならなかったのかなと今頃思う。
家を出てからずっとトイレ行ってなかったし、でもお茶は水筒で飲んでたし尿はたっぷり膀胱にあるだろうに全然出ない。尿意はあるのにどうやら無意識でか緊張しているのか、出すだけのことができない。おちびを産んだ直後もこうだったので多分そうなんだろう。
自然分娩で出産した経験にもとる話だが出産直後は尿道に管を通して尿を採る。多分普通の人は一回尿をとったら次のトイレは自分で出来るんだと思う。私は緊張が酷くてその後トイレに行っても尿が溜まってるのに出せず、もう一度カテーテルをいれた。通すのも抜くのも痛くて辛かったので次からは根性で排尿した苦い思い出。
ここで尿が出ませんって言ったらカテーテルを入れられるのかもと想像して慄き、なんとか少量でもと、絞り出すように頑張って採尿した。キバって腹圧で尿を出す感じ。ちょっぴりしか出なかった。まだ膀胱に尿はあるのに、変だよなあとトイレの中で一人トホホと項垂れる。

採尿が終わったのでまたストレッチャーに横になる。なんだかとてもしんどい。不安もある。この時はひたすら「帰りたいよう……」と小さい声で呟いていた(処置室に一人だったので人の目は気にならなかった)
採血して、喀痰検査のため痰もとって、CTもした。痰はここでは容器二つに採るのが基本みたいだ。普段、喀痰検査をする時は容器は一つだったので「へー」と思う。

入院

長い時間がかかってPCR検査の結果が陰性だったと、看護師さんに告げられた。ん?でも?帰れない……の?

入院だった。帰れない。
PCR検査が陰性だったのは良かったがそれは単に感染状態ではないかどうかを調べて、その後の処置方針を確定するためだったのだなと思い返して考える。
病室が決まったのか病棟へ行く準備が目まぐるしくされていく。夫とおちびは病院に戻ってきてるようだ。
若い看護師さんがヒョコッと来て、「娘さんに大丈夫?って声をかけたんですけど、涙ぐんでました」そりゃそうだよなあ……。産んでから別々に過ごしたことなんてないもの。先に書いた通りおちびが頭を打ったことで一晩入院はしたけど私が付き添いで泊まって傍にいた。一日たりとも離れたことがなかった。
ストレッチャーで病棟へ運ばれる時に夫とおちびもついてきた。横たわった私の視界に夫とおちびが映る。非日常の画角。

病室は個室だった。てっきり大部屋なのかと思っていたので軽く驚き。医療のドラマを見たりすると病床は足りないぞ!と、そういうイメージがあって希望したわけでもないのに個室を割り当ててもらえるとは予想外だった。
病室には洗面台もあるし狭くないし快適そうだ。私は人の気配とか音とかが気になる体質なのでありがたい。それに毎朝欠かさず喘息の吸入をするので予備うがいと吸入後のうがい……と念入りにしなければならず長い間洗面台を独占するし自分用の洗面台にはホッとした。

鼻に付けられていた酸素のチューブは数値が安定したからとすぐ外され、点滴は水分質のものから抗生物質に取り替えられる。このくらいでまだ夕方六時すぎだったと思う。夫とおちびが入院に必要なものを持ってきてくれる。夕食も届いていたのでちまちまと食べつつ二人とバイバイした。

処置室でつけられた点滴の針が右腕の内側でちょうど曲げる部分で「腕を曲げないでね!」と看護師さんから注意されていて、右腕はまっすぐピーンの状態。曲げられない手では箸を口に運べないので利き手ではない左手で食べることになり難儀した。寝るのも辛かった。曲げてはいけないのだ。針が刺さった状態で腕を曲げるところを、その体の中の状態を想像すると怖かった。夫にメッセージを送信しようとか思っても左手だけではスマホをするっと落っことしてしまってもどかしかった。
徐々に右腕がビーンと張ったみたいに痛む。その痛みで目が覚めたり、咳で目が覚めたりしながらではあったが思ったより眠れた。

二日目

普段が早起きなせいか同じような時間に目が覚めた。
「マジで入院してしまった……」
一人ぼっちの部屋。白くて無機質で私だけの空間。
この頃おちびは不登校でいつも一緒だった。一緒に過ごすのは親としては当たり前なのだけれど私は私で一人の静かな時間が欲しいと時折思っていた。
そして酷い肺炎に罹ることで急に静かな一人時間を手に入れた。これは全く嬉しくない。わがままだけれど、こういうのじゃなかった。
一人になりたい、なんて思ったから罰があたったのかしら。自分が動く音しか鳴らない空間。他は看護師さんが動く音。おちびと夫が恋しかった。

午前中は点滴をしながらうとうとしていた。
午後は昼食を食べた後、夫とおちびが面会に来てくれて。ああ、可愛いなあおちび。三十分と面会できる分数が限られているとはいえ面会できるだけでも良かった。結核とかだったら完全に隔離になってしまう。
夫に家から持ってきて欲しい物を頼んでいた。
まずはハンドクリーム。よく手を洗うし、凄く乾燥してスマホ画面をタッチしても感知してくれず「これ持ってきて」と入力するのに指先を水で湿らせたりしなければならずストレスだった。手の甲をかかげると乾燥が酷いだけで普段より五歳くらい老けたように見えた。
あとはキッチンペーパー、ティッシュペーパー、筆記具の一軍たち。
やっぱり文字や絵をアナログで書けるって嬉しいなあとウキウキ。
病院内で少しの日常を取り戻した気になったし、改めて有り難さも感じる。

「曲げないで」と言われていた針が刺さってる右腕は左腕に針を変えてもらってとても助かった。利き手で箸が持てて食べやすくなる。

三日目

病院の朝食は朝八時なので、普段はもう少し早い時間で生活している私はまだ慣れておらずお腹を空かせてボーっとして、いつの間にか寝てしまったりした。
気が付くと看護師さんが来ていてサッサッと点滴を外していく。「朝食ですよ!」と言われる。お母さんみたいだ。

体温や血圧を測ったらまた点滴が開始される。
朝食を食べ終わって時間を持て余していたら看護師さんがやって来て
「おトイレの回数は何回でしたか?」
と聞かれて即答できず戸惑う。気にして過ごしていなかったので正直分からない。ザックリとなんとなくとで「六回くらいかな」と答えた。

ふと左腕を見ると針の近くが腫れている。低周波治療器をつけたようなビリビリとした感覚もある。
せっかく快適になったばかりなのに。
主治医の先生がいらしたので腫れについて聞いてみた。
「ああ。これは駄目だね。漏れてるなあ。針を変えましょう!」
先生はそう言って看護師さんを呼びに行った。翻る白衣。カッコいいな。

点滴からは開放された。
なにやら血管が細いそうで。加齢なのか個人差なのか?他の箇所で試しても漏れてしまうので抗生物質の点滴を延べ三日はできたし錠剤で抗生物質を飲んでもいいことになった。これは嬉しい。
何にも繋がれず私は自由だ!
思わずベッドからぴょんと降りて腕をブンブン振ってみた。

あと何日で退院できるのかが気になる。お風呂に入りたい。入院初日も特に入浴の説明は無かったのでよく分からない。
テレビカードを購入すればイヤホンを付けてテレビを見ることもできるけれど、元々テレビを見ないほうなので静けさの中、本を読んだりして過ごした。

四日目

喘息の吸入の際、咳き込みが酷くてなかなか上手くできず、呼吸を整えていざ、と思ってもまた咳き込んで疲れた。

話しかけやすい感じの看護師さんが酸素濃度などを測ってくれたので数値を聞いたら95だった。まあまあ回復しているか。

点滴から解放されたら看護師さんの来室が激減する。当たり前だけど。
と思っていたら看護師さんがやって来た。何だろうと思ったらレントゲンを撮るらしい。胸部レントゲンだ。
「最初にね、レントゲン撮ったんだけど場所、分かる?」
と聞かれた。潔く分からないですと言った。初日に撮影しててもバタバタしてたししんどかったし、病棟にも初めて入ったから全然分からない。
看護師さんが連れて行ってくれることになった。
彼女は少し年配の人で、道すがら話しかけてくれた。
「若いのに肺炎になるなんて大変ね」
まあ確かに。あまり頻繁に聞くような話じゃない。
間をもたせようと心配りをしてくださったのだろうか。他にも話をしてくれた。
彼女は以前、娘さんと共にウサギを飼っていたらしい。でも毛がフワフワ飛んでアレルギーが出てしまって喘息にもなったそうだ。そこで、娘さんに
「ウサギを飼い続けるなら出ていく、実家にいたいならウサギは無理」
と片方を選ぶように言ったら娘さんはウサギを連れて出ていったそうだ。 
私はフワフワと家の中を舞うウサギの毛を頭の中に思い描きながら、じゃあ今は何も飼っておられないのだろうなと思った。待っていたエレベーターが来たので乗り込み彼女は目的の階のボタンを押しながら言った。
「でもね、今は猫を飼ってるの」

ここが病院ではなく家だったら盛大に「ズコーッ!」とズッコケているところだ。飼ってんじゃん!猫ォ!
レントゲンを撮ったらまた病室まで送ってもらった。部屋に着いたところで、私が使っている吸入薬の名前を聞かれたので答えたら、彼女はポケットからメモを取り出してサッとボールペンでメモしていた。
私は看護師さんに道案内してもらったことにお礼を言って見送った後、病室の外は冷えるからと着ていくように言われたカーディガンを脱いで畳んだ。カーディガンはめちゃくちゃホッカホカ。
「あっつう……!」
とウィスパーの発声方法で呟いた。暑がりなほうなのだ。

夕方頃、部屋を移動するように言われたのでせっせと移動する。個室から個室への移動だったので何故移動なのかは分からない。事情があるのだろう。

五日目

早朝から雨が降っていた。起き上がってカーテンを開けてみたが雨粒が目視できるほどではなくて、ただこれまでより自然光が入らず病室が薄暗かった。

そしてまた部屋を移動した。
ついに大部屋。と言っても私を数えても三人。わりとゆったりしているかな?

六日目

予定されていた採血が寝ぼけまなこのうちに終わった。上手でいらっしゃる。 

毎朝の喘息の吸入。肺炎の影響か、まだ酷く咳き込んでままならない。大部屋に移ったので私一人の洗面台ではないし、なるべく早く終わらせたいがしゃがみこんで咳をしまくっていた。
おちびが折り紙でハート型のお守りを作ってくれたのでそれを握って、吸入を頑張る。

主治医の先生が来られて撮影したレントゲンの様子をお話してくださる。肺の炎症は綺麗になっていたみたいだ、よかった。

大部屋に移ると全然違う生活になることが分かった。私が気にしすぎるタイプなのも要因の一つなのだろうか。私の他には二人しかいないのに、それぞれが好きなことを喋り、好きに過ごす。私もそうしているけれど。テレビを見る時にイヤホンを使わずに視聴する人、しょっちゅうナースコールを押す人。その人達からは私はきっと「なんかめっちゃ咳する人」と思われているかもしれない。
自宅で過ごせることの有り難さを痛感する。

七日目

明日になったら退院出来る。そういう予定になった。まだ咳は酷いがなんだか気分が軽い。

夫とおちびがお見舞いに来てくれた。毎日来てくれている。もう泊まるのは最後なので明日に必要ないものは持って帰ってもらった。
面会時間の三十分が過ぎて、廊下まで二人を見送る。バイバイタッチを何度もするおちび。ぎゅうう、と抱きついて離れない。私も抱きしめた。おちびの背中、形の良い頭。大好きだ。
ごめんね、私がいないの寂しかったよね。
夫は先にスタスタと歩いていたので、おちびがパッとそちらへ駆けていった。
ふと自分のシャツを見ると胸元あたり、おちびが顔をうずめていた部分が濡れていた。
このまま濡れた跡が消えずに残ったらいいのに、と無理なことを思った。

看護師さんがベッドを整えに来てくれた。
「綺麗に使ってるのね」
と言われた。シーツはくしゃくしゃにはしていないし、抜けた髪の毛はマメに拾って捨てていた。別に綺麗好きというほどの性格ではないが。
「今日も娘さん来るの?可愛らしい子やね」
とも言われたので
「そうなの。とっても可愛いよ」
素直にデレる。看護師さんはまだ話してくれて
「そんなに何回も肺炎なって大変やね。そういえば肺炎球菌ワクチン打ったんやろ?なんていう名前のワクチン?」
言いながらポケットからメモとボールペンを取り出した動作を見たところでやっと私は「ああ!あのレントゲン撮影に案内してくれた人!」と理解した。
私は軽く相貌失認があるようなので顔を見ても判別がつかないことが多いのだ。とりあえず彼女に肺炎球菌ワクチンの名前を伝えた。

消灯の時間がくる。今日が終わる。
小さいことは考えず眠ろう。明日へ、退院へ。

退院

めでたく退院の運び。朝すぐに測定された酸素濃度は93だったので基準値を下回っている。不安はあるものの、数値が回復するまで入院しましょうと言われてもツラいし、なんと言うか数値は見なかったことにした。看護師さんも何も言わなかったから予定通り退院でいいんだろう。

いつも通り早起きして帰り支度も済んでボーッとする。朝食が運ばれてくる。私用の食事は『常軟食』と書かれていて、字のとおりペースト状だ。この食事も最後。好きなものは美味しく食べれたし、特に食べ物を持ち込みしてまで空腹も覚えずに過ごすことができた。

看護師さんが来て退院後の飲み薬もいただけた。夫とおちびも来てくれてお世話になった大部屋を後にする。
救急の先生、看護師さん、その他の方々、本当にお世話になりました。

帰宅

久しぶりの家。まずは手洗いとうがいをする。
部屋は私が入院している間に夫が少しの模様替えと掃除をしてくれていた。本当に、大変だったよね、お世話になりました。ありがとう。

来ていた服を全部脱いで洗濯カゴに入れて早めの入浴。退院の間際になって入浴するかどうかを聞かれたのだが、もうすぐ帰って家の慣れたお風呂に入れるのだしと思って断っていた。
ベタベタした髪も、身体も全部洗う。終わったら部屋着に着替えて、やっとおちびとギューをする。
おちびだ、夫だ。
咳はまだ酷いけど、家に帰ってこれた。

退院後のあれこれ

背中

家に帰ってくることができて、のほほんとしていた。夜がきて眠り、朝がきて朝ごはんを食べようとした時。

ビキッ!

背中が鳴った。いや別に音は鳴ってない。体の中で聞こえた音、みたいな。
何年も前から背中の筋膜炎は繰り返していたのですぐにそれだと分かる。ぎっくり腰ならぬぎっくり背中。
「やばい」と思って朝ご飯もそこそこにして薬だけは飲んで横になった。
「やっちゃった瞬間」が分かりやすくて即座に安静にできたのは幸いだっただろう。しかし悔しさのような感情が私の中で渦巻いた。
退院の時はしっかりと歩いて家まで帰ることもできたのに。
安静期をきっちり三日間とり後は無理しないように少しづつ動く。ぎっくりをし慣れているのはいいんだか何なんだか。

消化器内科へ

退院直後のぎっくり背中が治まったら今度は便秘のために通っている消化器内科へ行く予定が迫っていたので行ってきた。
予約制ではなく、薬の残数と相談して二ヶ月か三ヶ月に一度くらいのペースで通っている。
バスを利用して行くのだが少し家で準備にもたついてしまい早足でバス停を目指して歩く。これが結構しんどい。息切れも激しくて病み上がりを痛感する。無事に乗車はできて良かったが車内では喋る気力もなくぐったりとしていた。
病院ではいつも通りの処方をしてもらって帰途に着く。

デリケートゾーン

肺炎を起こして抗生物質を七日間飲みきりで服用した。身体の中はボロボロである。
カンジタ膣炎になりやすい体質は元々で、抗生物質を飲んだ後は余計に心配になる。実際少し痒みを感じていて不安だった。ここでスッと婦人科を受診できたら良いが、この時は薬の副作用で下痢気味でもあり私は内診台に乗れそうな気が全然しなくて悩んだ。一日に十回くらいはトイレに駆け込むのだから。
婦人科を受診することは諦めてネット通販で乳酸菌のサプリメントを購入した。絶対デリケートな悩みに効きますとは書かれていない。でもレビューを信じて飲んで、なんとか炎症は逃れられたようだ。
咳はまだ酷く、ずっと続いていた。喘息持ちは風邪をひいた後でも咳が二ヶ月くらい続くこともあるので覚悟はできていても、それにしても酷い。
咳をする時の腹圧で尿漏れしてしまう。肺炎の時から使っている給水シートが手放せなかった。
咳止めを飲んでも特に効くとかもなくて飲むのをやめた。
給水シートに触れている肌が痛くなってきてツラくなる。塗り薬も良さそうに思えるものはなくて、私は「給水シートが肌に触れないようにすればいいんだ」と開き直った。
ショーツに給水シートを着けるのはそのままだが、肌に触れるのは布にしようとショーツを一枚多く履いた。
これで痛みはなくなった。濡れたショーツは頻繁に洗いに出すことになるけれど皮膚が痛くなることに比べたら何のことはない。

パルスオキシメーター

私がまだぎっくり背中で動けずにいた間に呼吸器科の予約が入っていた。まだ動けずにいた時なので夫に代理で行ってもらった。入院していた病院からのデータなども持って行ってもらう。
先生から酸素濃度を測定するパルスオキシメーターを買うように指示が出たと帰ってきた夫から聞いた。先日の入院は呼吸器科に一旦行って酸素を測り、呼吸不全のため大きな病院へ行くという廻り道をしたので、パルスオキシメーターを購入すれば酸素濃度の数値で判断して最初から大きい病院へ行けるという意向だ。
ネットで検索したらピンからキリまである。「安かろう悪かろう」は偏見かもしれないけれど身体に関わることでもあるしそこそこ機能が良さそうで、安定感のあるメーカーを選んで購入した。さらりと万札が数枚飛んでいった。
良いものにお金を払えたのならまあ良かった。

原因菌

この入院の時の原因菌は「インフルエンザ桿菌」という聞いたことがないものだった。インフルエンザ?と私がキョトンとしたので先生が噛み砕いて説明してくれた。インフルエンザと名前がついてるがインフルエンザウィルスではなくヘモフィルス、子どもの赤ちゃん期に受ける予防接種で言うとヒブがそれにあたるのだそうだ。
ちなみに肺炎球菌ワクチン接種をしてからの肺炎だったが毎月診察してくださる呼吸器科の先生によるとワクチンはウイルスに効くものであって今回私が罹患した原因であるヘモフィルスのような『菌』には効果がないのだと説明していただけた。

ぎっくり連発

退院して一ヶ月半くらいの記録を見返して書いている。咳がずっと酷い。咳止めは効かない。リン酸コデインも、デキストロメトルファンも効かない。喘息発作時のためのメプチンエアーもしてみたが別段善くなることもなくてゴホゴホとし続けていた。
退院してすぐに背中のぎっくりになったことを書いたが、その時に痛めたのは背中の右側で食事のため箸を持っただけでぎっくりになった。
その時の背中が治ったなと思って行かないといけなかった病院に行ったら今度は左腰のぎっくりになった。
うそ!?と言いたくなる。ちょっぴり歩いただけだ。それがまた安静に逆戻り。
左腰の安静期が過ぎたくらいで左の背中が痛くなる。
いつまで安静にしてなきゃならないんだろう、とショボくれながら食事を済ませ、ゴホゴホと咳き込んだ時。

ビキッ!

と、左の腰がなった。
これは今までと違って強い痛みで。
「いたぁー!」
わざとではなく大きな声が出た。痛みが続くので折りたたみテーブルの脚を掴み「フーッ、フーッ」といきみを逃すみたいに呼吸する。

終わりに

肺炎だの、ぎっくりだの色々と続いたが四ヶ月ほど過ぎた今は結構安定していると思う。
呼吸器の先生から「生物学的薬剤」を注射することを勧められたこともあったが、まず血液検査をしたら鉄欠乏性貧血であることが分かり、鉄剤を飲み始めた。
「もしかしたらこれを飲むことで善くなるかもね」
と言われた通り、落ち着いている。
ただその前に、血液検査で炎症の数値が高いという結果も出たので抗生物質を処方されまたもや飲むことになった。抗生物質なので飲みきる。
飲みきったら退院しても何ヶ月も続いていた咳がスンッと治まってびっくりした。『残り咳』だろうと耐えていたら、まだ炎症あったせいだったのか。
抗生物質を飲み咳がひいて、鉄剤も飲んで調子は良い。鉄剤の副作用で便がゆるくなって調整するのに難儀したくらいだ。

ようやく三月の入院騒動の記録を纏めることができた。勿論これからも喘息は続くし再度肺炎に罹る可能性もあるが、ひとまずは長い間支えてくれた夫とおちび、そして医療従事者の方々に改めて感謝を申し上げます。
長いレポートになりました。読んでくださってありがとうございます。



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