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第9週 木曜日 歌人大弐三位


第9週9人目の歌人は女房三十六歌仙の一人大弐三位(だいにのさんみ)

です。



大弐三位(だいにのさんみ)は長保元年(999年)頃生まれています。正式な生年月日は分かりません。お父さんは藤原宣孝の娘、お母さんは紫式部です。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ/けんし)。藤三位(とうのさんみ)、越後弁(えちごのべん。この名前は祖父の任国の越後国と官名をとってこういう名前がついているそうです)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれます。

 長保3年(1001年)3歳ごろお父さんの藤原宣孝と死別します。

お母さん紫式部の結婚生活は3年あまりだったそうです。

長和6年(1017年)18歳ごろ、お母さんの後を継ぎ一条院の女院彰子(上東門院)に女房として出仕します。

この間、藤原頼宗、藤原定頼、源朝任らと交際があったことが知られています。

その後、関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚、一女の源良宗室をもうけました。

万寿2年(1025年)、親仁親王(後冷泉天皇)の誕生に伴い、その乳母に任ぜられています。

また長暦元年(1037年)までの間に東宮権大進・高階成章と再婚、同2年(1038年)高階為家と一女をもうけている。

天喜2年(1054年)、後冷泉天皇の即位とともに従三位に昇叙、夫・成章も大宰大弐に就任しました。

大弐三位という女房名は、この自らの官位と夫の官名を組み合わせたものだそうです。

歌や実生活から、お母さんの紫式部と比べ、恋愛の駆け引き上手というイメージを持たれることがあるそうです。

歌集に『大弐三位集』(一名『藤三位集』)があります。

この最古の伝本は、伝大弐三位筆「端白切」(はたじろぎれ)。断簡のみ残り、京都国立博物館(手鑑「藻塩草」)、徳川美術館(手鑑「玉海」)、五島美術館、サンリツ服部美術館など諸家に分蔵されています。


百人一首
58番
  かれかれなるおとこのおほつかなくなといひたりけるによめる 

『後拾遺和歌集』 第十二 恋二
ありま山ゐなの篠原風吹は いてそよ人をわすれやはする

この歌が特に有名です。



大弐三位を題材とした作品には以下の作品があります。







めぐめぐがすごいと思う大弐三位のこと

1紫式部がお母さんということでものすごいプレッシャーがあったと思いますが、それに負けず素晴らしい歌人として作品を多く残されたこと。

2そしてその最古の伝本が今まで伝わっていること

3そしてその人物について現代漫画や小説で読めるということ。素晴らしいことです。



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