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第27週 芸術家 石川さゆり

はじめに

第27週の芸術家は歌手・女優の石川さゆりさんです。


出生・子ども時代

石川さゆりさんは1958年1月30日石川 絹代(いしかわ きぬよ)として

熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)にお生まれになりました。

小学1年の時、島倉千代子さんの歌謡ショーに接し感動、次第に歌手を志すようになられたそうです。

小学5年10歳の時に絹代さん一家は横浜市神奈川区に転居されます。

のち歌のレッスンを受け始められます。

芸能界入り

1972年、横浜市立城郷中学3年在学中の夏休みに、フジテレビ系列の「ちびっ子歌謡大会」に出演されます。

これは参加できなくなった友人に替わって参加され、合格されます。

そしてホリプロにスカウトされ芸能界入りを果たされます。

同年秋に放映されたフジテレビの連続ドラマ「光る海」では、沖雅也氏の妹役としてレギュラー出演され、まず女優デビューされます。

翌年1973年3月25日、「かくれんぼ」でアイドル歌手として日本コロムビアよりデビューされます。


キャッチフレーズは「コロムビア・プリンセス」。

しかし、歌手デビューから暫くは「花の中三トリオ」(森昌子さん・山口百恵さん・桜田淳子さん)の影に隠れた事も有ってか、大きな人気を得るには至らなかったそうです。

堀越高校に通われています。

「津軽海峡・冬景色」

1977年、前年1976年に発売されたアルバム『365日恋もよう』からシングルカットされた「津軽海峡・冬景色」で、大ブレイクを成し遂げられます。


当時19歳だったそうです。


この歌で、同年末のTBSテレビ系「第19回日本レコード大賞」歌唱賞や、フジテレビ系列「FNS歌謡祭」グランプリ(ほか最優秀歌唱賞・最優秀視聴者賞も獲得)など数々の音楽賞を受賞されます。


さらに「第28回NHK紅白歌合戦」へも念願の初出場を果たされました。

その後、同1977・翌1978年発売のシングル「能登半島」「暖流」「沈丁花」なども続けてヒットします。


演歌歌手の二葉百合子さんの門下生として学ばれています。

また1979年9月から80年にかけて刑事ドラマ「大空港」に女性刑事役でレギュラー出演されていました。

1980年代の活躍


1980年代に入ってからも「波止場しぐれ」(1985年 第27回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞)、「天城越え」(1986年 第28回日本レコード大賞・金賞)、「夫婦善哉」(1987年 第29回日本レコード大賞・金賞)、「滝の白糸」(1988年)、「風の盆恋歌」(1989年 第31回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞)などとさゆりさんは順調にヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となられます。


1981年、元マネージャーの馬場憲治氏と結婚されます。

1984年2月に長女・佐保里さんを出産するも、1989年2月に離婚されています。

1980年代後半にはカラオケボックス運営会社「カミパレス」の経営を知人と行い、国民銀行の融資のもとで30店舗ほど展開する実業家の一面もあったそうです。

しかし後に経営からは退き、カミパレスは1999年9月に破産宣告を受けました。経営破綻した国民銀行が1995年にカミパレス対して行った35億円の融資について、不良債権を引き継いだ整理回収機構がさゆり個人が契約した連帯保証の残金28億円余りの支払を求める損害賠償請求を提起しました。2003年に東京地裁で一審判決が出たが、その内容を不服とした整理回収機構が抗告すると共にさゆりさんの自宅を一時差し押さえたそうです。しかし同年に10億円の賠償金支払いで決着しているそうです。

移籍

さゆりさんの所属レコード会社は、デビューから20年間日本コロムビアだったそうですが、1993年にポニーキャニオンへ演歌部門第1号として移籍されます。

また芸能界・歌手デビュー時からホリプロに所属していたが、個人事務所「株式会社さゆり音楽舎」を設立し1997年に独立されます。

また1999年にポニーキャニオン社の演歌部門が撤退となり、2000年にテイチクエンタテインメントへ移籍され現在に至っているそうです。

「津軽海峡・冬景色」など初期の楽曲の原盤権はホリプロが保有しているそうです。

2000年代以降の活躍

2006年大河ドラマ「功名が辻」に出演されています。

2013年11月8日、女性演歌歌手の先輩として慕い続けた島倉千代子さんが75歳で他界されます。同年11月14日、島倉さんの葬儀・告別式でさゆりさんは後輩歌手の代表として「島倉さんの『さゆりしっかりしろ』という声が聞こえるようです。頑張ります」と涙声で弔辞を読まれたそうです。

2015年12月30日、TBSテレビ「第57回日本レコード大賞」において日本作曲家協会奨励賞を受賞されています。

2018年3月、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞され、翌2019年紫綬褒章を受章されています。


石川さゆりさんとNHK紅白歌合戦


さゆりさんは紅組歴代最多出場の女性歌手です。

今までそれぞれの紅白でさまざまな形で今まで場を盛り上げてこられました。

紅白の醍醐味とも言われているそうです。

「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを背景に、第28回(1977年)に初出場を果たされます。

以降6年連続で紅白出場を重ねられますが、第34回(1983年)のみ、産休・臨月に入っていたため出演を辞退されています。

(ただし、NHK側からの強い要請も有って「特別応援ゲスト」として、当回紅白のステージに登場したそうです)。

特に、第36回(1985年)以降は実力派がひしめく終盤コーナーの常連歌手となり、紅組トリは美空ひばりさんの13回に次ぎ、現役歌手最多の9回(その内大トリは1回)を担当しておられます。

紅白出場回数では、女性歌手として当時最多保持者の和田アキ子さんを1回差で追っていたそうですが、第67回(2016年)に和田さんが紅白落選したことにより39回で並び、第68回(2017年)で紅組(女性)歌手としては史上初の紅白出場40回を達成されたそうです。

なお白組歌手も含めると、北島三郎氏(2003年)、森進一氏(2007年)、五木ひろし氏(2010年)に次いで、歴代4人目となったそうです。

第71回(2020年)で通算43回となり、第35回(1984年)から37年連続して出場継続中でいらっしゃいます。

また紅白での37回連続出場も、紅組歌手では第1位であるそうです。

(紅組2位の連続出場は小林幸子さんの33回。白組歌手も含めると五木氏の50回、森氏の48回に続いて第3位だそうです)。

石川は紅白出演に関し、2014年(第65回)の時点で、「今は紅白卒業を全然考えてないけど、そういうこと(卒業)を思う日が来ることもあるかもしれない」と述べておられるそうです。

なお第58回(2007年)以降さゆりさんは、「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」とを1年おきに歌唱している。この件に関し、「NHK側から(この2曲を歌って頂くのが)これが日本の年越しなんですよ」と言われている事に、さゆりさん自身は複雑な気分になっていると明かしていたそうです。

また、2016年1月14日号の週刊新潮内においては、石川が紅白本番前に行われるNHK関係者との面談の際に「(2曲を唄うのは)もう何回目でしょうね?」「今年も新曲を出しているんですよ!」などと不満を口にしたとされる記事が掲載された事もあったそうです。

実際さゆりさんの新曲は2021年1月27日 シングル127曲目の「なでしこで、候う/何処へ」だそうです。

詳しくはご本人のオフィシャルサイトをご覧ください。


2021年2月さゆりさんは熊本親善大使に就任され益々様々なジャンルで活躍されています。


めぐめぐがすごいと思う石川さゆりさんのこと

1友人の代わりに行ったコンテストでその才能を認められ、すぐに芸能界デビューされ、すぐ大成されたわけではなかったのですが、19歳以降ずっとその才能を歌やドラマなどのジャンルで発揮され続けておられること。

2毎年欠かさずシングルを出し続け、現在127枚のシングルCDを出されていること

3紅白歌合戦に欠かせない歌手として毎年12月31日素晴らしい歌声を日本中・世界中に届けておられること。

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