第26週 教育者 川村文子

はじめに

第26週の教育者は学校法人川村学園を作られた川村文子さんです。


子ども時代

川村文子さんは1875年11月20日に武田フミコさんとして秋田県藤里町にお生まれになりました。

地元の教師になる

1894年秋田県尋常師範学校を卒業されます。卒業後地元の土崎尋常高等小学校の訓導になられます。さらに保度野尋常高等小学校訓道になられます。

しかし1年後の1895年病気のために休職されます。

上京

フミコさんは1897年上京され、明治女学校に学ばれます。

同年内務省の役人川村武治氏と結婚されます。

川村女学院を創立

1923年関東大震災が起こりその惨状に直面され、フミ子さんは女性の自立を考えられるようになられます。

信念をもって自覚した女性を育成するため1924年川村女学院を創立されます。「感謝の心」をもつ良妻賢母の養成、現代生活に適応した専門的技術の習得を目指す女子教育を目指されました。

フミ子さんは院長になられます。

学校の発展と共に

学校は次第に大きくなりました。

1940年文子さんは財団法人川村学院理事になられます。

1943年川村女学院高等女学校と名前を変え、文子さんは財団法人川村学院理事長になられます。第2次世界大戦で教育の統制が行われたときも、文子さんは女子教育を守ることに苦労されました。

1951年学校は川村学園となり、文子さんは理事長と学園長を兼務されました。

同年藍綬褒章を受賞されています。

1960年12月1日 文子さんは85歳で東京で亡くなられています。


めぐめぐがすごいと思う 川村文子さんのこと

1学校を卒業され、教師の仕事がうまく行かなかったときに思い切って休職され、その後さらに勉強しようと上京されたこと

2学校を作ろうと決意され、それを実行し、戦争中の厳しい時期もその教育を守り抜こうと戦われたこと

3その後亡くなられるまで、学園を大きくされ、多くの自立した女性を世に送る教育活動に関わられたこと。




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