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第11週 木曜日 歌人 伊勢太輔

11人目の歌人は伊勢大輔です。



伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ)は、永祚元年〈989年〉頃生まれたと考えられています。

伊勢神宮の祭主、大中臣輔親の娘で、代々伊勢神宮の神官をつとめる家がらに生まれました。


また寛弘5年(1008年)頃に一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕え

その後筑前守高階成順に嫁し、康資王母・筑前乳母・源兼俊母など優れた歌人を生んだことが知られています。

和泉式部紫式部などと親交し、晩年には白河天皇の傅育の任にあたったことも知られています。

康平3年(1060年)までの生存が確認されています。

伊勢大輔は和泉式部、紫式部、馬内侍、赤染衛門とともに、利壺の五歌仙と呼ばれている優れた歌人でした。


 

『百人一首』にも採られて有名な「いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬる哉」の歌は、奈良から献上された八重桜を受け取る役目を、紫式部が勤める予定のところ、新参女房の伊勢大輔に譲ったことがきっかけとなり、更に藤原道長の奨めで即座に詠んだという和歌だそうです。

その和歌が、上東門院をはじめとする人々の賞賛を受けたので今日まで知られています。

他にも以下の歌が知られています。


— 『詞花和歌集』 巻第一 春 

一条院御時 ならの八重桜を人の奉りけるを そのおり御前に侍けれは
 そのはなをたいにて うたよめとおほせことありけれは    伊勢大輔
いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬる哉

 『金葉和歌集』 別巻 三奏本にありて底本になき歌

 奈良の八重桜を内にもてまいりたるを うへ御覧して歌とおほせことありけれは 
いにしへのならのみやこのやへさくら けふこゝのへににほひぬるかな


百人一首関係の本やゲームを集めてみました。





めぐめぐがすごいと思う伊勢大輔のこと

1神官の娘として生まれ、その後天皇に仕えて多くの歌人を産むなど

素晴らしい当時のキャリアを気づかれたこと。

2生涯ずっと歌人として活躍され、多くの歌が歌集に残っていること。

3他の歌人とも交流して、お互いを高めあっていること。

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