料理もサービスも出過ぎてはならない
夕食は開放的な吹き抜けの天井に張り巡らされたレアンドロ・エルリッヒのインスタレーション「lighting pipe」を眺めながら一皿一皿を堪能しました。
世の中には食べることにこだわりを持たない人がいます。
私の主人はまさにその典型で「食べる」という行為に奥深さは求めておらず、ただただシンプルに美味しく食べたいのだそう。
何か食べたいものあると訊ねても、基本返答は「なんでもいい」です。
凄い。
結婚当初は私に遠慮してるのかあ、なんて思ってた時期もありましたが本当にこだわりがありませんでした。驚きです。
(いや、ほんとうに凄い、助かる)
そんな彼、ちょっと良いレストランに来ると緊張します。
それをみて、ふと思うのです。
“あ、食事を愉しめるということは実はものすごくレベルの高いことなのかも”と
そしてそれは年々強く実感します。
平和な世の中、
健康な身体、
精神的安定、
食事を共にする人との心地よい関係、
時間的・経済的余裕、
質のいい食材、
質のいい料理人、
質のいいサービス、
そして、それらを自覚する感覚。
そのすべてが丸く繋がった時
いや、
どれかが欠けていると認識した時ようやく気付くのです。
食事をおいしくいただくという行為がどれほど至福なひとときかという真実に。
料理もサービスも適量、適切、適当なタイミングで提供され、満足の一言に尽きます。
すべて食べ終わり、主人に何がいちばんおいしかったか訊いてみたら
「チョコレートケーキ」と返ってきました。
ここで無難なメイン料理を挙げないところが最高にシンプルでブラボー。
極めつけに「でも、〇〇のケーキのほうがいい」ああ、それはわかる。わかってしまう
舌は正直
To Be Continued…
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