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「哀愁しんでれら」たぶんこれはハッピーエンド。

子どもの将来はその母の努力によって定まる。
それが本当ならシンデレラは幸せにはなれない。
「哀愁しんでれら」のヒロインである小春も幸せにはなれない。
でも、この映画はハッピーエンドだったと思う。「あんな衝撃的なラストなのに!?」と土屋太鳳ちゃんに心配そうな顔をされても、私はハッピーエンドだと断言する。

現日本版シンデレラは母がテーマ

子どもの頃の靴をずっと履いていたから、シンデレラは大人になっても足が小さかったらしい。成長に合わせた靴を買ってくれるような母には恵まれなかった可哀そうなシンデレラ。優しい王子様と結婚して「めでたし、めでたし」で物語は終わるから本当に幸せになれたのか誰も知らない。結婚したからといって幸せになれるわけではないことにみんなが気づいてしまった現代で、「哀愁しんでれら」は「めでたし」の先にあるヒロインの人生を描く。そのコンセプトが面白い。しかも、小春が結婚した王子様には子どもがいる。妻や嫁だけでなく、母も担う小春の現代版シンデレラ人生には、モンスターペアレンツ問題が入り込む。さすが多様性を叫ぶ現代。お姫様だってモンスターになれるのだ。

「本当に幸せになれたのか」の答え

水色ドレス、赤いクッション、黄色のカーディガン、紫のベッド、鮮やかな色彩の世界の中で、妖美に踊るようにヒロインを描いている。奇妙で美しい重厚感も、軽やかでかわいい空気感も、童話を観ているようで楽しい。
少しメルヘンな世界の中で、シンデレラ同様に母親の愛に恵まれなかった小春の「この人生を幸せと呼べますか?」という難題を視聴者に静かに投げかけるようなラストには困惑した。それでもハッピーエンドだと思うのは、小春にとっての「幸せ」の理想が描かれていたからだ。家族から逃げずに家族の幸せのために動ける自分でいること、家族を理解できて信じられること。小春にとっての目標を達成できたラストだから「めでたし、めでたし」である。誰かにとってはそうでなくても。

ガラスの靴ほどの幸せ

「ガラスの靴、私もサイズぴったりかもしれない」ラストシーンの小春を観てそう思った。
家族に不満や不信感を持ってる人はたくさんいると思う。でも「家族だから」と諦め「幸せ」だと自分に言い聞かせる。家族からもらった愛という名の何かは、自分の幸せのサイズを小さくしているだけなのかもしれないのに。私もガラスのように尊い家族であることに満足し、小さな幸せを生きている。

子どもの将来はその母の努力によって定まる。
そうなのかもしれない。小春はあんなラストで幸せそうだった。幸せのサイズが最初から小さければ、些細なことで幸せに生きていける。それは悪いことではないし、その人が「それでいい」のであれば「幸せ」と呼ぶべきだと思う。
自分だけの物差しで他人の幸せをはかることなんてできるわけないのだ。

だから、この映画はハッピーエンドであり、自分が幸せかなんて自分で決めさせてよという誰かが勝手に決めたすべての「めでたし、めでたし」への美しい復讐劇だ。

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