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義務教育費の歴史と未来

今でこそ義務教育は無償ですが、一体いつから無償なのでしょうか。
今は、昔と違ってオルタナティブスクールやフリースクールなど多様な学びの場がありますが、残念ながら無償ではありません。
子供を通わせるには、月数万円が必要になることもあります。
親の負担をもっと減らすことはできないのでしょうか。

今回はそんな疑問をもつ方に向けて、義務教育費の歴史と未来について書いてみようと思います。
義務教育費と就学率は密接に関係しているので、就学率についても追ってみます。

学制発布:義務教育費は受益者負担

江戸時代までは各藩による教育が行われていたので、近代日本教育の始まりと言える明治時代から見ていきます。

明治5年。学制が発布されました。
学制とは、日本で最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。

それまでは江戸幕府のもと、各藩の寺子屋などで教育が行われていました。
学校制度や教育方針を定めた法令などは、ありませんでした。

しかし、欧米列強の脅威を目の当たりにした明治政府は、そこに追いつくためには産業の発展と軍事力の強化が必須だと痛感しました。
他国に負けない統一国家を作るため、文部省(当時)を頂点とした全国規模の学校制度を作ることが目指されました。
そうしてできたのが、学制です。

学制のもとでは、教育費は「受益者負担」つまり、それぞれの家庭が負担せよ、というものでした。
しかし、実際には約半数の小学校が授業料を徴収せず、徴収するとしても少額でした。

各家庭以外にも、住民からの寄付金を集めることもありましたが、当時の人々にとって学費負担は重くのしかかり、就学拒否や学校閉鎖、学校の焼き討ちなどが行われることもあったようです。

そして、封建制下とほとんど変わらない当時の経済社会の状況で、公教育制度を定着させることにも難しさが伴いました。
明治8年の小学校の就学率は男女平均35%、実際は26%程度でした。

第三次教育令:授業料徴収を徹底

その後も色々と試行錯誤が続きましたが、明治10年に起こった西南戦争によって経済不況が深刻化し、公教育にも影響を及ぼしていきました。

西南戦争を率いた西郷隆盛。国立国会図書館HPより

財政危機に陥った公教育は、第三次教育令によって、教育費削減に力を入れました。
削減されて足りなくなった分は、各家庭が負担することになりました。
それまでは授業料の徴収が徹底されないこともありましたが、それが徹底されるようになったのです。

それにより、就学状況はかなり悪くなり、明治16年に51%程度だったのが、明治20年には45%にまで落ち込みました。
授業料の負担は、人々に重くのしかかったのです。

第三次小学校令:義務教育の無償化

その後も紆余曲折ありました。
しかしついに明治33年、第三次小学校令によって、義務教育の無償化が実現しました。

その背後にあったのは、実は明治27年に勃発した日清戦争です。
日本は清との戦争に勝利し、明治28年に調印された下関条約において、戦争の賠償金として「2億両(約3億円)」を得ました。

賠償金の多くは軍備拡張に使われましたが、3%は教育費に使われました。

群馬県教育委員会HPより


義務教育の無償化によって就学率は急上昇し、明治33年には81.5%、明治38年には95.6%になり、悲願の「国民皆学」が達成されました。

ここまでの就学率をグラフで表すと、こんな感じです。

文科省HPより

まとめ:無認可の学校の無償化は可能か

ここまで見てくると、義務教育費のあり方が、その時の経済状況にかなり影響を受けていることが分かります。
経済状況が良ければ無償化になり、悪ければ人々の負担が増えるというように。

では、今はどうでしょうか。
今の日本は明らかに経済状況は悪いですよね。
税金は上がり、物価も上がり、人々の暮らしが圧迫されています。

ということは、こういう不況において、フリースクールやオルタナティブスクールなどの無認可の学校に公教育と同等の補助金が出るようになるというのは、あまり現実的ではないかもしれません。
なにせ、公教育の給食費も上がっているくらいですからね...。

今後もし日本が好景気になるようなことがあったら、もしかしたら無認可学校の無償化もなくはないのかもしれませんが、今のところはかなり難しいのだなと思いました。
残念ですが。

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