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日本では、自分軸が育ちにくいのか

アメリカやヨーロッパなどと比べて、日本では自分軸が育ちにくいのではないかと私は思っています。
それはなぜかと原因を探っていくと、歴史的な背景だったり、国民性だったり、文化的なことだったり、すごく深いところにまで行き着くと思うんです。

今回の1つの記事で深掘りはあまりできないのですが、今回は「日本で自分軸が育ちにくいこと」について、同調圧力という視点から考えてみたいと思います。

みんな同じが良い

日本では、「みんな同じ」であることが良しとされます。

みんながやってるから、とりあえずやっておこう。
一人だけやらないのは良くない。
一人だけ違うとあの人おかしい、変わってると思われる。浮きたくない。

こんな意識が働きがちで、多数派の意見や発言力のある人の言動をうかがって、みんながそこに寄せていく風潮があります。
あるファッションが流行るとみんなこぞって似たような服を着たり、コロナ明けもマスクをなかなか取らなかったりするのも、ここから来ているのではと思います。

そして、多くの人が多数派に寄せて生きているこそ、自分の思うままに発言したり行動したりする人に対して厳しくなります。
一人だけ違うことをしていると、
変わってる。自己中。KY。マイペース。
そんな言葉で批判したり、揶揄したりします。

「空気を読む」という、なんとも曖昧な、なんの根拠もない、その場の雰囲気のようなものが絶対視されていて、空気を読めないと「KYだよね。」で断罪されます。
それが怖くて、また人は周りをうかがって足並み揃えて、一人だけ浮かないように行動しようとします。

自分軸のある人は浮く

そんな中では、当たり前ですが自分軸は育たないですよね。
自分軸は「自分はこう考える」と主張することでもあるし、時に周りと違う行動をとることもあるわけです。

でもそんなことをしていると、「変わってる。」とか言われちゃうわけですね。
周りから浮いたりするんです。

だからみんな自己主張しない。
様子をうかがって意見を言わない。
どっちとも取れる曖昧な笑みを浮かべたりしてしまうんですよね。

出過ぎた杭は誰にも打てない

昔誰かが言ってた、私の好きな言葉です。
同調圧力に負けずに自分を大切にして貫いていくと、出過ぎた杭になり、それはもはや誰にも打てない、と。

それくらい突き抜けられたら素敵だなぁって、私は思います。

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