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最後まで読みたくなる文章と途中で読みたくなくなる文章

日常的に、noteで色々な書き手さんの文章を読んでいると、自分が「読みたくなる文章」と「読みたくなくなる文章」の傾向がなんとなくわかってきたので、そのことを書きたいと思います。

ちなみに、私はただの一般人です。文章を書くということについてはまったくの素人です。ブランディングとかマーケティングとかSNS運用とかSEOとか?、そういうのも何にもわからない人間の、ただの一つの意見です。

だからこれから書くことは「多くの人に読まれるための文章術」などではなく、単に私自身が自分の好みを書いておきたいという個人的な目的によるものです。私みたいな一般人に文章を読まれたい書き手の人にはもしかしたら参考になるかもしれませんし、私みたいな人を読者として想定していない人にはまーったく参考にならないことでしょう。

最近自覚したことですが、私は「ああ~この文章、書き手が本当に書きたくて書いているんだろうな」という雰囲気が出ている文章が好きです。好きでたまらないです。その書き手の愛の力で、最後まで読みたくなってしまいます。

「読者である私が興味を持っているテーマかどうか」「文章が読みやすいかどうか」というのも多少は影響するけれど、文章の内容自体はよくわからなくても「ああ~書き手の人、このことが書きたかったんだろうなあ」感が出ていれば、むしろ扱っているテーマや文章の読みやすさなどはあんまり関係ない場合も多いです。

あくまで重要なのは「すごく書きたくて書いているという雰囲気が出ているかどうか」であって、"書き手さんが実際はどう思っているか"とかはどっちでもよかったりします。というか私はエスパーではないので本当のところはわかりようがありません。

というわけで、逆に、途中で読むのをやめたくなってしまう文章・・というか、読んでいて苦しくなってしまう文章というのは「書き手さんの義務感や悲壮感がうっすら透けて見える」文章や、「書き手の心と、文章に書いてある内容に距離を感じる文章」です。

”大丈夫かな?ほんとうにそう思ってます..?ほんとにこれ書いてて楽しい?書くの苦しいんじゃないのかな..?”って気になってしまうというか..。

これも、実際に書き手がどう思っているかは関係ないです。あくまで、私が気になってしまうのは「うっすら透けて見える」「そんな雰囲気がでている」というところ。もちろんこちらもエスパーではないので本当のところはわかりません。

たとえば、

・「何か有益なことを書かなくては!そうでないと見てもらえない!」という使命感・悲壮感がうっすら漂っている文章。いやもちろん有益な情報が欲しい時もあるんだけれど、なんていうか、大丈夫ですよ?そんな、インターネットに対して「ためになること」ばっかり求めてるわけじゃないから..

・家族や恋人や友達への愛や感謝を文章にしているけど、本当に?本当にそう思ってるのかな?(本当に愛してたら本人に愛してるって言うよね..?これはなんですか、こういう「自分はこんなに○○を愛してるよ」っていう、演出なのかな..?)って邪推してしまう

のような場合などが該当します。あくまで一例です。もちろん例外もあります。ありまくりです。

私がインターネットに求めるものは主に「癒し」「笑い」とかなので、文章を読むということに関しては私は「お客さん」でいたいってことでしょうね。

また何か発見したら書きたいと思います。

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